グーテンベルクの印刷物
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「ヨハネス・グーテンベルク」の記事における「グーテンベルクの印刷物」の解説
詳細は「グーテンベルク聖書」を参照 1450年から1455年までの間にグーテンベルクはいくつかの文書を印刷しており、未確認のものもあるとされている。彼は印刷者名や日付を記さなかったため、印刷物の中身と外部の記録から特定するしかない。マインツでそのころに発行されたとみられる教皇の書簡や贖宥状が存在する。贖宥状は大量に印刷され、2種類のものが7版、全部で数千枚が印刷されている。アエリウス・ドナトゥスのラテン語文法書はグーテンベルクが印刷したものもあるとされている。それらは1451年から52年、あるいは1455年に出版されたと見られている。 1455年、フストとグーテンベルクは各頁42行で二巻本のラテン語聖書 (Biblia Sacra) を完成させた。1巻30フローリンで売られ、その価格は当時の平均的事務員の3年分の給料に相当する。それでも写本に比べれば安価であり、写本が一冊を作るのに一年近くかかることを考えれば大量生産につながる画期的な事業といえた。ただし、この聖書では本文の印刷後に手書きの聖書と同様の手法で装飾を手で書き加えている。 1455年に印刷された『グーテンベルク聖書』(行組から『四十二行聖書』と呼ばれる)は完全な形で世界に48セット残っており、ドイツ、イギリス、アメリカ合衆国などに保管されている。大英図書館には2冊あり、オンラインで閲覧・比較可能になっている。日本では慶應義塾大学が所蔵しているが、これはアジアで唯一のものである。グーテンベルク聖書は写本を模して作られたため、後の印刷物のスタンダードである要素を多く欠いている。たとえばページ番号、インデント、段落間の空白などがまだ見られない。なお、このとき使われた活字のデザインは、テクストゥラ(textura)、より正確には《テクストゥス・クァドラトゥス(textus quadratus)体》[角張った網目様の書体]の名で知られている当時の写本の書体をまねたものだった。2003年の時点で、羊皮紙に印刷された旧約・新約聖書の完全なものが4部、不完全なものが8部ある。紙に印刷されたもので完全なものが17部、不完全なものが19部で合計48部になる。 バンベルクで1458年から1460年頃印刷されたと見られる三十六行聖書は、大部分がグーテンベルク聖書をそのまま複製したものであり、かつてはこちらの方が先に印刷されたと見られていたこともある。 グーテンベルクがフストと共同で印刷したものは以下のようなものが知られている。 『ドナトゥス文法書』(1454年) - 中世から近代に至るまでもっともよく用いられたラテン語文法書。4世紀のローマ人でヒエロニムスの師であったアエリウス・ドナトゥス(Aelius Donatus)の著作。 『贖宥状』(1454年) - 三十行。ニコラウス5世がトルコへの戦いに功あるものに示したもの。 『四十二行聖書』(1455年) - いわゆる『グーテンベルク聖書』。180部ほど印刷された。 『マインツ詩篇』(1457年) - コロフォンにはグーテンベルクの名前はないが、計画の途中までかかわっていたと考えられている。 他にグーテンベルクが自らの工房で印刷していたものとして以下のものがあげられる。 『贖宥状』(1454年) - 三十一行。ニコラウス5世によるもの。 『トルコ暦』(1454年) - トルコに対する戦いへの協力をよびかける教皇ニコラウス5世の書簡。 『トルコ教書』(1456年) - トルコに対する戦いへの協力をよびかける教皇カリストゥス3世の書簡。 『医事暦』(1456年) - 一種のカレンダー。 『キシアヌス』(1456年) - ドイツにおけるカトリック教会の祝祭日を記した暦。 『カトリコン』(1460年) - 1286年のヨハネス・バルブスの著作。ラテン語文法書とラテン語辞書を組み合わせたもの。 『信仰大全』(1460年) - トマス・アクィナスの著作。 『贖宥状』(1461年) - ピウス2世のもの。十五行および十八行。 『四十二行聖書』はユネスコの推進する歴史的記録遺産のデジタル化計画『世界の記憶』プロジェクトに加えられた。
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