グーテンベルクの活字がパンチ法と銅製の母型で作られたのではないという証拠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 09:58 UTC 版)
「ヨハネス・グーテンベルク」の記事における「グーテンベルクの活字がパンチ法と銅製の母型で作られたのではないという証拠」の解説
パンチ法と銅製の母型による活字製造法はグーテンベルクの発明とされてきた。しかし、グーテンベルクの技法はそれとは若干異なるという証拠が近年発見されている。彼がパンチ法を使ったなら、鋳造時のミスやインクの付き具合を除いて、同じ文字はほぼ同一に印字されるはずである。しかし、グーテンベルクの初期の印刷物にはそれだけでは説明できない文字の差異がある。 2001年、物理学者のブレイス・アグエラ・イ・アルカスとプリンストン大学の司書ポール・ニーダム(Paul Needham)は Scheide Library が所蔵する教皇の勅書をデジタルスキャンし、その中の同じ文字を注意深く比較した。ハイフンなどの単純な文字を比較した結果、それらの差異はインクの付き具合や鋳造時のミスでは説明できない部分があるとした。別の頁間では明らかに同一の活字が使われているが、同じ母型から鋳造されたとは考えられない文字もあるとしている。頁の透過光写真からも、伝統的なパンチ法とは異なる基礎構造であることが明らかとなっている。彼らは、単純な楔形を組み合わせてアルファベットなどの形を構成することで、砂と思われる柔らかい素材で母型を作ったのではないかという仮説を提唱した。砂型は一回鋳造すると壊されるので、同じ文字の活字は毎回砂の母型を作るところから始めなければならない。これで、同じ文字の差異を説明できる。 彼らは、活字鋳造のための再利用可能な母型の発明が「印刷術の誕生における決定的要因」として、従来考えられていたよりも進化した技法だったかもしれないとした。また、パンチ法によって母型を作りそれを何度も再利用する技法が生まれたのは1470年代ではないかと示唆している。彼らの説は完全に受け入れられたわけではなく、この問題は今も議論が続いている。 なお、19世紀に印刷業と活字鋳造業を営んでいたフルニエ・ルジューヌは、グーテンベルクが使っていたのは再利用可能な母型から鋳造した金属の活字ではなく、木製の活字(つまり印鑑のように彫ったもの)だったのではないかと示唆した。これも証明されていないが、可能性はある。 2004年、イタリアのブルーノ・ファビアーニ(Bruno Fabbiani)は四十二行聖書を調査し、文字同士が重なっている部分があることを発見した。そこから発想し、活字を並べて頁を構成して一度に印刷したのではなく、タイプライターのように1文字ずつ文字をスタンプしていったのではないかとした。しかし印刷の専門家は、単に活字の高さが若干異なるために紙がずれて重なったのではないかと指摘している。
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