グローバル金融危機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/01 15:55 UTC 版)
「グローバル金融システム」の記事における「グローバル金融危機」の解説
1990年代の金融危機による市場の混乱と2001年の911テロ攻撃の後、先進国と新興国の金融統合が進み、銀行間の資本フローと金融デリバティブや仕組金融商品の取引が大幅に増加した。世界全体の国際資本フローは2002年から2007年にかけて3兆ドルから11兆ドルに増加した。これは主に短期マネー市場商品の形をとる。米国は1999年のグラム・リーチ・ブライリー法により、1933年のグラス・スティーガル法を廃止し、商業銀行にかかっていた投資銀行業務の制限を撤廃した。これにより国境を越えた幅広い金融サービスを提供する企業の規模と複雑さが増大した。先進国は国内の投資機会の資金調達の多くを外国資本に頼り始めた。その結果、空前の資本フローが発展途上国から先進国に流れた。2001年に世界総生産の3%であったグローバル・インバランスは2007年に世界総生産の6%に拡大した:19:129–130。 2007年から2008年にかけて急展開した世界金融危機は、1990年代の国際金融危機でみられた特徴の一部を再現した。すなわち、資本流入の加速、規制の弱さ、金融緩和政策、群衆行動、投資バブル、資産価格の崩壊、そして大規模なレバレッジ解消である。システミックな問題が米国や他の先進国で発生した:133–134。1997年のアジア危機と同様に、グローバル危機は、非生産的な不動産投資を引き受けた銀行による幅広い融資と、金融仲介機関のコーポレート・ガバナンスの弱さを伴った。特に米国の危機の特徴は、不良債権の証券化の増加、大幅な財政赤字、そして住宅部門の過剰な資金調達である:18–20:21–22。金融危機の引き金となった不動産バブルは、多くの国々から米国に流入した外国資本によってファイナンスされた。危機の伝染性の影響が他の国々に感染し始めたので、危機は今や大不況と呼ばれるグローバル経済低迷の前兆となった。危機に陥ると、財とサービスの世界貿易総額は2008年から2009年にかけて10%減少した後2011年まで回復しなかったが、新興市場国への集中が高まった。グローバル金融危機は、世界全体の金融統合のマイナス効果を示し、一部の国がシステムから完全に離脱すべきか否かについての議論や、離脱する方法についての議論を刺激した:3。
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