グラールス衝上断層研究の歴史
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「スイスの活発な地殻変動地域サルドナ」の記事における「グラールス衝上断層研究の歴史」の解説
はじめてグラールス衝上断層を観察したのはハンス・C・エッシャー・フォンデアリント(英語版)である。彼は、グラールスの露頭では古い地層が新しい地層の上位に重なって露出しており、地層累重の法則に反していることを発見した。その息子、アーノルド・エッシャー・フォンデアリント(英語版)はチューリッヒ工科大学ではじめて地質学の教授となった人物である。彼は露頭周辺の構造を詳細に地図上に記載し、これが巨大な衝上断層であることを突き止めた。当時、多くの地質学者たちは造山運動を地殻の垂直方向の変動で解釈する地向斜説を信じていた。そのため、エッシャーは巨大な衝上断層の存在を説明することができなかった。1848年になり、彼はイギリスの著名な地質学者、ロデリック・マーチソンを招き、一緒にグラールス衝上断層を観察した。マーチソンはスコットランドの巨大な衝上断層に詳しく、エッシャーの発想に賛同した。しかし、エッシャー自身はこの解釈は不十分であると感じ、1866年の著作の中では幅の狭い背斜が2度大きくオーバーターンしているという解釈を示している。この仮説では不十分であると彼自身は感じていた。 エッシャーの後任にあたるアルベルト・ハイムは当初「背斜が2度大きくオーバーターンした」説を信じていた。しかし、何人かの地質学者達は「衝上断層」説を信じていた。その中の一人、マーシェル・A・ベルトラン(英語版)は1884年にハイムの記録を読んだ後に衝上断層の着想を得た。彼はFaille du Midiというベルギーのアルデンヌ地方の巨大な衝上断層に詳しかった。一方、イギリスの地質学者たちはスコットランドのハイランドで衝上断層の特徴を見つけ出していた。1883年にアーチバルド・ガイギーはハイランド地方の地形は衝上断層によって形作られたとみなしていた。スイスの地質学者、ハンス・シャルットとモーリス・ルジオンは1893年にスイス西部で、ジュラ系のナップがより若い年代のモラッセ堆積物の上位に重なっていることを発見した。そこで彼は、アルプス山脈はナップ(大きなシーツのように捲れ上がって衝上断層によって重なっている岩体)が積み重なることによってできたという説を提唱した。20世紀に入り、ハイムは新たな学説に賛同し、スイスの地質学者達はスイス国内のナップの詳細な記載を始めた。この頃から、世界各地の山脈で巨大な衝上断層が見つかりはじめた。 しかし、ナップを動かした巨大な力がどこに由来するものなのか、説明することはできなかった。その合理的な説明は1950年代のプレートテクトニクスの登場を待たなければならなかった。プレートテクトニクスでは、水平方向の運動はプレートの相互作用によって説明することができる。現在では多くの地質学者が、大山脈はプレート同士がぶつかり合う場所に形成されているということを信じている。
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