クスノキ群ほか
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 16:07 UTC 版)
鎮守の森はそれほど広くないが、御神木の「乎千命御手植の楠」や奥の院の門となっている「生樹の御門」など境内や近隣にクスノキの巨木が存在する。1322年の兵火や、1722年の洪水で大被害を受けており往年の姿は無いが、38本が「大山祇神社のクスノキ群」の名称で国の天然記念物に指定、他に境内から離れた場所にある1本が愛媛県指定天然記念物となっている。 ウィキメディア・コモンズには、大山祇神社のクスノキ群に関連するカテゴリがあります。 原始林社叢の楠群 国の天然記念物(指定名称は「大山祇神社のクスノキ群」)。1951年(昭和26年)6月9日指定。境内には多くのクスの古木が残って原生林の名残を留めている。うち38本が指定対象となっている。代表的なものは次の通り。乎千命御手植の楠 幹周11.1m、根周り20m、樹高約15.6m。神社境内のほぼ中央にある。伝承樹齢2600年。兵火や洪水・落雷により樹勢は衰えているが下枝は葉をつけている。小千命の手植えとの伝承があり、名称はこれに由来する。根本は柵で保護されているがその周りは踏み固められており、やや枯れ枝が目立つ。 能因法師雨乞いの樟(枯死) 幹周17m(現在は10m以下)。神池近くにある。伝承樹齢3,000年。かつて日本最古の楠と言われた。18世紀に枯死し腐朽がかなり進行しているが、1990年頃の調査でも胸高幹周10mの大木である。名称は、1066年の大干ばつの際、能因法師がこの木に幣帛を掛け雨乞いを行ったことに由来する。このことは『金葉和歌集』の大治2年(1127年)に詠まれている。 河野通有兜掛の楠(枯死) 幹周14m(現在は3m以下)。弘安4年(1281年)元寇出兵時、河野通有が大山祗神社に参籠祈願した際に兜を掛けたとされる。1322年の兵火で大被害を受け枯れているが、現在も幹の一部が社殿の脇に横たえている。 第三号樹 幹周8m(1950年頃)。高い樹高(高さ48m)と大きな根株(根周り70m)が特徴。上記3本に次ぐ大木だが、特筆する伝承などはない。見通しの悪い樹林の中にあるため目立たないが、背が高いため境内裏側に廻れば見える。その他幹周8-10m級クスノキが3本ある。 生樹の御門 奥の院への途中に立つ。樹齢は2,000年または3,000年と伝承される。根周り32m、幹周15.5m、高さ10m。主幹は勢いがなく副幹に近接する1枝を除いて枯れているが、副幹は樹勢があり大きく密な樹冠を広げている。周りにはひこばえが数本出ており、着生している植物と合わせ1つの森の様になっている。昭和期には斜面上側、主幹と副幹の間にもう1本細い幹があった。真中の洞(幅2m、高さ3m)が奥の院への参拝通路となっている。 愛媛県指定天然記念物。1951年(昭和26年)11月27日指定。境内からやや離れているため、国の天然記念物「大山祇神社のクスノキ群」には含まれず、この木単独で愛媛県の天然記念物に指定されている。 伊藤博文公記念楠樹 樹齢100年(1909年3月22日~)、幹周1m程度の若木である。伊藤博文が参拝記念に植樹した。下枝が手頃なところにあるため、よくみくじ掛として使われているが、木の生育にはあまり良くない。他にもクスノキの若木が多数ある。 第十八号樹 生樹の御門(愛媛県指定天然記念物) 生樹の御門の幹部分 河野通有兜掛の楠(枯死) 無名の大楠(国の天然記念物) 伊藤博文公記念楠樹
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