キリスト教圏におけるムハンマドとは? わかりやすく解説

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キリスト教圏におけるムハンマド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 23:39 UTC 版)

ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ」の記事における「キリスト教圏におけるムハンマド」の解説

カトリックプロテスタント英国国教会正教会違いこそあれキリスト教圏では、ムハンマドは「新たな契約結んだイエスの後に、余計なものを付け加えた者」と映ることが多かった。そのため、古来よりイスラム教に対して敵愾心を持つことも多々あった。その最も端的な例が、ビザンツ帝国への初期イスラームの侵攻による征服以後イスラム教徒支配下にあった聖地エルサレムキリスト教支配下再征服する目的編成され十字軍といえるイスラームについての正確な知識乏しかった中世ヨーロッパにおいては、ムハンマドサラセン人信仰する神々のうちの一柱であるとも考えられていた。たとえばフランスの武勲詩ローランの歌』においてマフム(Mahum, Mahumet)はテルヴァガン(Tervagan、語義未詳)およびアポリン(Apollin、アポロン語源)とともにサラセン人多神教の主要三神であると歌われている。また、南ドイツ伝説的英雄ディートリヒ・フォン・ベルンは悪霊マフメット(Machmet)の子供であるという伝説流布していた。フランソワ・ラブレーの『パンタグリュエル』では、マホン(Mahon)が悪魔のうちの一人として現れている。 またムハンマド反キリストであるという説もあった。9世紀アンダルスのアルヴァルスはダニエル書7章23節から25節の『第四地上第四王国であろう。これはすべての国よりも大きく全世界併合し、これを踏みつけ、かつ打ち砕く。十の角はこの国から起こる十人の王である。その後に又一人の王が起こる。彼は先のものよりも強大あり、かつ、三人の王を倒す。彼は、いと高きものに敵して言葉出し、かつ、いと高きものの聖徒押しつぶす。彼は又時と律法とを変えることが出来ると考え聖徒ひと時と、ふた時と、半時の間、彼の手に渡されるであろう。』というくだりに出てくる『十一番目の王』をムハンマド解釈した文学世界で1980年代末イギリス作家サルマン・ラシュディが、ムハンマドスキャンダラス描写した悪魔の詩』を発表してイランの最高指導者アーヤトッラー・ルーホッラー・ホメイニーのファトワーにより死刑宣告を受け、世界衝撃与えたことがあった。

※この「キリスト教圏におけるムハンマド」の解説は、「ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ」の解説の一部です。
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