キャリアの低迷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 15:40 UTC 版)
1960年代初頭には、ミネオは、今までに有名になっていたタイプの役柄を演じるには、年齢が上であったし、同性愛者であるという噂は、主役には適切ではないとみなされていた。一例としては、デイヴィッド・リーン監督の1962年の映画『アラビアのロレンス』のオーデションを受けたが、採用されなかった。またミネオは1962年の映画『史上最大の作戦』に、サン・メール・エグリーゼ上陸後にドイツ兵に殺された一等兵の役で出演した。 ミネオは突然の人気の低迷に悩まされていて、「1分の間に、自分の手に余るオファーが来たと思えたものだったが、次の瞬間には、もう誰も自分を望んでいなかった」と後に語っている。この次期に重要だった映画は、1962年の『偉大な生涯の物語』のユーライア役での出演だった。また、1965年『パティ・デューク・ショー』の2シーズンでドン・ウェイス監督の"Patty Meets a Celebrity"のエピソードでセレブとしてのTV出演が行われた。 ミネオのキャリアを復活させるために、フランシス・フォード・コッポラの家の前の芝生にキャンプをしようという話があった。実際に1972年のゴッドファーザーでフレド・コルレオーネの役を得るチャンスがあったが、その役はジョン・カザールが演じることになった。ミネオは、1964年から、ABCのTVシリーズ『コンバット!』のエピソードに登場した。殺人を好むGIの役と、フェルナンド・ラマスとの共演を含めて、全3話にゲスト出演していた。 1965年の映画『Who Killed Teddy Bear?』で、ミネオはジュリエット・プラウズと共演した。ミネオはストーカー役を演じ、批評家から高く評価された。ミネオはこの役で、自らの新しいタイプキャストを見つけた。彼のキャリアの最後の1つはチャールズ・マンソンと同様のカルト・リーダーを演ずる、1975年のTVシリーズ『特別狙撃隊S.W.A.T.』でのゲスト出演だった。 1969年にミネオはL.A.で、LGBTがテーマの演劇『Fortune and Men's Eyes』のプロデフュースと演出をするためにステージに戻った。当時は無名だったドン・ジョンソンをスミッティに起用してミネオはロッキーを演じた。この劇は、1967年の初演では、ステージ上で演じられることのなかった刑務所でのレイプ・シーンを、ステージ上で演じられるヌードを含んだ演出に変更したため、おおむね肯定的な評価を受けたが、レイプ・シーンは度が過ぎていて無意味であると批判された。 1970年、ミネオはボザール・アーツ・ボールのキングに選ばれ、そのクイーンがマドレーヌ・ル・ルーだったので、2人は一緒に出席した。 ミネオの最後の映画である1971年の『新・猿の惑星』では、チンパンジーのマイロ博士の役で出演した。 1975年、ミネオは、NBC-TVの『刑事コロンボ』のエピソード「ハッサン・サラーの反逆」に、殺害された中東の国の総領事の事件で、その助手であるラックマン・ハビーブとして出演した。このエピソードは、サイレント映画の伝説となっているハロルド・ロイドの遺産であるグリーン・エーカーズですべて撮影された。撮影の直後に、このグリーン・エーカーズは12のロットに細分化されて売却された。ミネオはまた1968年と1975年に、TVシリーズ『ハワイ5-0』の2つのエピソードに出演した。
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