カール・ハインツ・バーテルスのロールの白雪姫
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「ロール・アム・マイン」の記事における「カール・ハインツ・バーテルスのロールの白雪姫」の解説
カール・ハインツ・バーテルスの説によれば、白雪姫のモデルは1725年頃にロールで生まれたマリア・ゾフィア・マルガレータ・フォン・エルタールである。彼女はグリム兄弟によってメルヒェンが書かれる少し前になくなった。彼女の父親フィリップ・クリストフ・フォン・ウント・ツー・ルタールは、1719年から1748年までロールにおけるマインツ選帝侯領の官僚で、選帝侯の使節として旅することが多かった。そうした職にあることから彼はヨーロッパ全土の皇帝や王族と交流し、そのためエルタール家はロールで王族のように振る舞っていた。マリア・ゾフィアは、その賞賛に値する資質によって、ほとんどおとぎ話の王女の理想像へ美化された。 家門の居館はロール城であった。マリア・ゾフィアの実母が1738年に亡くなった後、1743年に父親はクラウディア・エリーザベト・マリアと結婚した。彼女はフェニンゲン家の夫を失った未亡人で、実家の家系からライヒェンシュタイン女伯であった。また、プファルツ選帝侯の宰相となるカール・フィリップ・フォン・フェニンゲンの母親でもある。彼女は支配欲が強く、先の結婚でもうけた子供のために自らの立場を利用した。フィリップ・クリストフは滅多にロールにいなかった。この他国への使節として父親が頻繁に不在であることは、テオドール・ルフが指摘する「白雪姫」の王が「奇妙に影が薄い」役割であることを説明している。 白雪姫がロールの女性であるとした重要な証拠が、城内のシュペッサルト博物館に展示されている「喋る鏡」であるとバーテルスは述べている。これはロールのマインツ選帝侯邦有鏡製造所の製品である。この製造所はフィリップ・クリストフ・フォン・ウント・ツー・エルタールの監督下にあった。この鏡はおそらく彼から2度目の妻クラウディアへの贈り物で、ロールの鏡の多くがそうであったように箴言を「喋る」のであった。右上隅にある自己愛 ("Amour Propre") の文字が、物語における継母の虚栄心と結びついているとバーテルスは考えた。 白雪姫が捨てられた「野生の森」は、シュペッサルト山地であり、「7つの山を越える」白雪姫の逃走経路は、「ヴィーゼン街道」と呼ばれる古い街道であるとされる。ロールからこの道で7つのシュペッサルトの山を越えるとビーバー近くの鉱山に出る。「地面に穴を掘る7人のこびと」は、小人症の坑夫あるいは鉱山で働かされていた子供である。継母が踊り続けなくてはならなくなった「ガラの透明な棺」や「鉄のスリッパ」はシュペッサルトのガラス工房や鍛造所で造られたものであった。
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