カーゾン家(第2期)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 21:07 UTC 版)
「スカーズデール子爵」も参照 カーゾン家は代々ケドルストン荘園(Kedleston estate)の地主を務めてきた一族で、ジョン・カーゾン(英語版)(1599?–1686)は、1636年6月18日にノヴァスコシアの準男爵位、1641年8月11日にイングランドの準男爵に叙されている。 その子孫たる第4代準男爵サー・ナサニエル・カーゾン(英語版)(1676-1758)はトーリーに属して活動したが、ホイッグの首魁ロバート・ウォルポールの解任動議には棄権した政治家である。その彼の次男アシェトン・カーゾンも父と同様にトーリー党の政治家として庶民院議員を務めたのち、1794年にグレートブリテン貴族としてバッキンガム州ペンのカーゾン男爵(Baron Curzon, of Penn in the County of Buckingham)、ついで1802年には連合王国貴族爵位のバッキンガム州ペンのカーゾン子爵(Viscount Curzon, of Penn in the County of Buckingham)に昇叙した。その初代子爵の一人息子ペン・アシェトンは第2代ハウ女男爵ソフィア・シャーロット・ハウと結婚したが、父に先立って亡くなったため、爵位を襲うことはなかった。 そのため、夫妻の息子リチャード(1796-1870)は1820年に祖父から爵位を継承し、1821年には連合王国貴族としてハウ伯爵(Earl Howe)に叙されて母方の祖父の伯爵位を再興した。これが現存するハウ伯爵家の始まりとなった。 また同年に彼は勅許を得てカーゾン=ハウと改姓するとともに、1835年には母よりハウ男爵位を相続した。 2代伯爵ジョージ(1821-1876)は襲爵前にサウスレスターシャー選挙区(英語版)選出の保守党庶民院議員を務めた。彼には男子がいなかったため、弟のリチャードが3代伯爵位を継承した。 その長男である4代伯リチャード(1861-1929)は保守党政権期に侍従たる議員(英語版)やアレクサンドラ王妃付宮内長官職を歴任している。 5代伯フランシス(1884-1964)は海軍予備軍人である傍ら、レーサーとしても活動した。彼は1931年度ル・マン24時間レースに参加して、僚友ティム・バーキン(英語版)とともに優勝を果たしている。 その息子の6代伯エドワード(1908-1984)には4人の娘がいたが男子がなかったため、1984年に彼が亡くなると爵位は又いとこのフレデリックに継承された。 現当主である7代伯フレデリック(1951-)は保守党の政治家として活動しており、1999年の貴族院法制定以降も貴族院に籍を置く92人の世襲貴族の一人である。 なお、ハウ伯爵家の歴代当主は上述のとおり第4代準男爵サー・ナサニエル・カーゾン(英語版)の子孫であるため、現在は親族のスカーズデール子爵家が保持するイングランド準男爵位(ダービー州におけるケドルストンの)準男爵位およびアイルランド準男爵位(ダービー州におけるケドルストンの)準男爵位の潜在的な継承権者でもある。 カーゾン家及び爵位にかかる現在のモットーは『カーゾンのものはカーゾンによこせ(Let Curzon Holde what Curzon Helde)』。 一族の邸宅は、 バッキンガムシャー州 ペンストリート近郊のペンハウス(Penn House)。
※この「カーゾン家(第2期)」の解説は、「ハウ伯爵」の解説の一部です。
「カーゾン家(第2期)」を含む「ハウ伯爵」の記事については、「ハウ伯爵」の概要を参照ください。
- カーゾン家のページへのリンク