カーシー国
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カーシー国(カーシーこく、サンスクリット語: काशी / IAST:Kāśī)あるいはカーシ国(काशि / Kāśi)は古代インドの王国のひとつ。ガンジス川中流域に位置し、首都はヴァーラーナシーだった。十六大国のひとつにあげられるが、コーサラ国に滅ぼされた。後にカーシーはヴァーラーナシーの別名として使用されるようになった。
- ^ Śrīmad-Bhāgavatam (Bhāgavata Purāṇa): Canto 9: Liberation, Chapter 17: The Dynasties of the Sons of Purūravā (Vedabase)
- ^ a b Harivamsha Purana: Book 1 - Harivamsa Parva, Chapter 29 - An Account of Kashi Kings
- ^ The Rigveda: The Earliest Religious Poetry of India. translated by Stephanie W. Jamison and Joel P. Brereton. Oxford University Press. (2017) [2014]. p. 1655. ISBN 9780190685003
- ^ 山崎元一 著「インダス文明からガンジス文明へ」、辛島昇 編 『南アジア史』〈新版世界各国史7〉2004年、45頁。ISBN 4634413701。
- ^ “Brihadâranyaka Upanishad, Second Adhyâya”, The Upanishads: Part II, Sacred Books of the East, 15, translated by Max Müller, (1884)
- ^ The Mahabharata: Book 13: Anusasana Parva, Section XXX
- ^ 山崎元一「カーシー」 『新版 南アジアを知る事典』平凡社、2012年、145頁。ISBN 9784582126457。
- ^ “Mahākosala”, Buddhist Dictionary of Pali Proper Names
- 1 カーシー国とは
- 2 カーシー国の概要
カーシー王国
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ガンジス川中流に位置するワーラーナシー(ベナレス)を首都とし、釈迦より以前の時代には十六大国中最大の勢力を持った国であった。ワーラーナシーはガンジス川の水運の中心であり、バラモンが修行する宗教的な拠点でもあった。この国の王はその巨大な経済力と軍事力を持って一切の諸王の帝王(サッバラージューナム・アッガラージャ Sabbarajunam aggaraja)たることを目指した。 パータリプトラ(現パトナ)を首都とするマガダ国の王、ジャラーサンダ(Jarasandha)の崩御に伴い独立、カーシャ(Kasha)が建国。 紀元前の第一千年紀初期に台頭し始めたコーサラ国の王、カンサ(Kansa)は、カーシー国のジャナパダを奪い取り、コーサラ国に併合した(カーシー・コーサラ)。紀元前6世紀末頃、マガダ国王ビンビサーラ(Bimbisara)がコーサラ国王マハーコーサラ(Mahakoshala)の娘、コーサラ・デーヴィー(Koshala Devi)と結婚した時に、新婦の持参金として、カーシーがビンビサーラに贈られた。息子アジャータシャトル(Ajatashatru)の手でビンビサーラが殺害され、王妃コーサラ・デーヴィーも逝去すると、コーサラ国王プラセンジット(Prasenjit)は、カーシー奪還の戦争を始めた。結局、コーサラ国王がカーシー奪還に成功し、マガダ国とカーシー国の間で和平協定が結ばれた。プラセンジットは、娘ヴァジュラ・デーヴィー(Vajira Devi)をアジャータシャトルに嫁がせ、新婦の持参金として、再びカーシーを贈った。 このようにして、カーシー王国は独立した立場を失い、アジャータシャトルの治世が終わりに向かうと、カーシーはマガダ国に併合された。
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