カーシー王国とは? わかりやすく解説

カーシー国

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/09 22:19 UTC 版)

カーシー国(カーシーこく、サンスクリット語: काशी / IAST:Kāśī)あるいはカーシ国काशि / Kāśi)は古代インドの王国のひとつ。ガンジス川中流域に位置し、首都はヴァーラーナシーだった。十六大国のひとつにあげられるが、コーサラ国に滅ぼされた。後にカーシーはヴァーラーナシーの別名として使用されるようになった。


  1. ^ Śrīmad-Bhāgavatam (Bhāgavata Purāṇa): Canto 9: Liberation, Chapter 17: The Dynasties of the Sons of Purūravā, https://vedabase.io/en/library/sb/9/17/  (Vedabase)
  2. ^ a b Harivamsha Purana: Book 1 - Harivamsa Parva, Chapter 29 - An Account of Kashi Kings, https://www.wisdomlib.org/hinduism/book/harivamsha-purana-dutt/d/doc485506.html 
  3. ^ The Rigveda: The Earliest Religious Poetry of India. translated by Stephanie W. Jamison and Joel P. Brereton. Oxford University Press. (2017) [2014]. p. 1655. ISBN 9780190685003 
  4. ^ 山崎元一 著「インダス文明からガンジス文明へ」、辛島昇 編 『南アジア史』〈新版世界各国史7〉2004年、45頁。ISBN 4634413701 
  5. ^ “Brihadâranyaka Upanishad, Second Adhyâya”, The Upanishads: Part II, Sacred Books of the East, 15, translated by Max Müller, (1884), https://www.sacred-texts.com/hin/sbe15/sbe15058.htm 
  6. ^ The Mahabharata: Book 13: Anusasana Parva, Section XXX, https://www.sacred-texts.com/hin/m13/m13a030.htm 
  7. ^ 山崎元一「カーシー」 『新版 南アジアを知る事典』平凡社、2012年、145頁。ISBN 9784582126457 
  8. ^ “Mahākosala”, Buddhist Dictionary of Pali Proper Names, https://www.palikanon.com/english/pali_names/maha/mahakosala.htm 


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カーシー王国

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十六大国」の記事における「カーシー王国」の解説

ガンジス川中流位置するワーラーナシーベナレス)を首都とし、釈迦より以前時代には十六大国最大勢力持ったであったワーラーナシーガンジス川水運中心であり、バラモン修行する宗教的な拠点でもあった。この国の王はその巨大な経済力軍事力持って一切諸王帝王(サッバラージューナム・アッガラージャ Sabbarajunam aggaraja)たることを目指した。 パータリプトラ(現パトナ)を首都とするマガダ国の王、ジャラーサンダJarasandha)の崩御に伴い独立カーシャKasha)が建国紀元前第一千年紀初期台頭し始めたコーサラ国の王、カンサ(Kansa)は、カーシー国のジャナパダを奪い取りコーサラ国併合した(カーシー・コーサラ)。紀元前6世紀末頃、マガダ国ビンビサーラBimbisara)がコーサラ国王マハーコーサラ(Mahakoshala)の娘、コーサラ・デーヴィー(Koshala Devi)と結婚した時に新婦持参金として、カーシービンビサーラ贈られた。息子アジャータシャトル(Ajatashatru)の手ビンビサーラ殺害され王妃コーサラ・デーヴィーも逝去すると、コーサラ国王プラセンジット(Prasenjit)は、カーシー奪還戦争始めた結局コーサラ国王がカーシー奪還成功しマガダ国カーシー国の間で和平協定結ばれた。プラセンジットは、娘ヴァジュラ・デーヴィー(Vajira Devi)をアジャータシャトルに嫁がせ、新婦持参金として、再びカーシー贈ったこのようにして、カーシー王国は独立した立場失いアジャータシャトル治世終わりに向かうと、カーシーマガダ国併合された。

※この「カーシー王国」の解説は、「十六大国」の解説の一部です。
「カーシー王国」を含む「十六大国」の記事については、「十六大国」の概要を参照ください。

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