カージナルスの低迷と復活
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「1963年のメジャーリーグベースボール」の記事における「カージナルスの低迷と復活」の解説
セントルイス・カージナルスは戦後の1946年に9度目のリーグ優勝と6度目のシリーズ制覇以降、優勝からは遠ざかっていた。1940年代には3度リーグ優勝を飾り、ナショナルリーグの強豪チームであったがドジャースの台頭とブレーブスの躍進、そして古豪ジャイアンツに挟まれるように低迷の時代であった。1953年にビール会社バドワイザーの経営者オーガスト・ブッシュがオーナーとなり、スタン・ミュージアルやレッド・ショーエンディーンスト(後に1965年から1976年までカージナルス監督)を中心とした打線がやがてケン・ボイヤー、ドン・ブラッシンゲーム(後にジャイアンツからレッズに移籍)が育ち、1958年には日米野球で日本を訪れて日本の野球ファンに強い印象を与えた。1958年にビング・デヴァインがGMに就任し、スタン・ミュージアルの衰えとともにビル・ホワイト、カート・フラッド、投手でボブ・ギブソンら黒人の若い力が伸びつつあった。1961年のシーズン途中でジョニー・キーンが監督となって、この1963年にはギブソンとブローリオが18勝、ホワイトが本塁打27本・打点109、ボイヤーが本塁打24本・打点111の活躍で終盤までドジャースと優勝争いをして93勝でチームは2位となった。この年のオールスターゲームでは一塁ビル・ホワイト、二塁フリアン・ハビエル、三塁ケン・ボイヤー、遊撃ディック・グロートと内野陣の先発メンバーは全員カージナルスであった。そして翌1964年のシーズン途中でシカゴ・カブスからルー・ブロックを獲得し、これが1964年のカージナルスの奇跡につながっていく。
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