カージナルス・カブス時代とは? わかりやすく解説

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カージナルス・カブス時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 14:59 UTC 版)

トッド・ジール」の記事における「カージナルス・カブス時代」の解説

1989年8月18日カージナルスメジャーデビューを果たす。この年28試合出場し打率.256記録8月20日にはメジャー本塁打放った1990年は、捕手中心に144試合出場打率こそ.244止まりだったが、15本塁打放つなど持ち前パワー発揮。しかし守備面では失策7、パスボール10盗塁阻止率.316と大きな課題残した1991年は、監督ジョー・トーリ守備面ジールより優れている、後のゴールドグラブ賞受賞者であるトム・パグノッツィ捕手起用することを決めジール打力生かすために三塁手コンバートする。本塁打こそ減った打率.280、更に17盗塁記録するなど、前年から飛躍したとなった1992年は、打撃三部門での成績軒並みダウンしたが、四球68選び出塁率.352を記録するなど少なからず収穫のあった年となった1993年開幕から打点荒稼ぎし自身初の100打点以上を記録MLBストライキのあった翌1994年は、出場試合数113試合だったにも関わらず19本塁打放った1995年は、34試合出場打率.291、5本塁打22打点好調維持していたが、6月16日通算141勝を記録しているマイク・モーガン投手マイナー2選手との交換で、金銭と共にシカゴ・カブス放出された。カブスでは79試合出場したものの、打率.227と振るわなかった。

※この「カージナルス・カブス時代」の解説は、「トッド・ジール」の解説の一部です。
「カージナルス・カブス時代」を含む「トッド・ジール」の記事については、「トッド・ジール」の概要を参照ください。

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