カージナルス時代とは? わかりやすく解説

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カージナルス時代(1964年 - 1979年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 08:50 UTC 版)

ルー・ブロック」の記事における「カージナルス時代(1964年 - 1979年)」の解説

移籍後ブロック左翼手コンバートされ好成績挙げる1964年シーズン打率.348をマークすることになり、同年カージナルスリーグ優勝果たしワールドシリーズにも出場相手となったニューヨーク・ヤンキース破りワールドチャンピオン輝き自身シーズンMVPの第10位にランクされた。 持ち前俊足をさらに活かすようになり、1966年には74盗塁で初の盗塁王に輝く。その後1974年までの9年間のうち8度盗塁王に輝く。 1967年開幕4試合で5本塁打放ち前半戦.328の好成績同年オールスターゲーム出場その後スランプに、終盤までに立て直してシーズンキャリアハイ打率.299、206安打マークした。その勢いでチームリーグ優勝果たし同年ワールドシリーズにてボストン・レッドソックス迎え撃ち、これを破って自身2度目のワールドシリーズ優勝を果たす。 1968年最多三塁打挙げるなど好成績収めて3度目ワールドシリーズ出場デトロイト・タイガース迎え撃ちチームは第4戦までに3勝1敗と、あと1勝でワールドチャンピオンとなるところだった。その第5戦の5回、ブロック二塁打進塁し後続のユリアン・ハビアーの安打本塁帰塁するところを、タイガース左翼手ウィリー・ホートンの好返球タッチアウトとなり、このプレータイガース勢い盛り返されシリーズ敗れてしまう。そんな敗戦であったが、同年シーズンオフブロック日米野球カージナルス一員として来日後楽園球場本塁打放っている。 1974年モーリー・ウィルスがもつシーズン104盗塁を破る、シーズン118盗塁という当時MLB記録樹立1975年5月27日にはサイクル安打達成するが、同年連続盗塁王記録途絶える1977年にはタイ・カッブが持つ通算892盗塁を破る。 1979年8月13日史上14人目3000本安打を達成。この3000本安打はピッチャー強襲内野安打で、さながら俊足ブロックらしいといえる3000本安達成だった。同年シーズン最後に現役引退するが、最後のシーズン打率.304を挙げている。 その引退とともにブロック背番号20』はカージナルス永久欠番指定された。通算938盗塁記録引退後1983年日本福本豊1991年リッキー・ヘンダーソン抜かれるまで世界記録だった。

※この「カージナルス時代(1964年 - 1979年)」の解説は、「ルー・ブロック」の解説の一部です。
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