シューラセーナ国とは? わかりやすく解説

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シューラセーナ国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/31 21:34 UTC 版)

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シューラセーナ国
शूरसेन Śūrasena
首都 マトゥラー
政府 君主制

シューラセーナ国あるいはスラセーナ国サンスクリット語: शूरसेन Śūrasena)は、古代インドの地域の名で、現在のウッタル・プラデーシュ州ブラジ (Braj地方に相当する。首都はマトゥラーだった。仏典『アングッタラ・ニカーヤ』によれば、シューラセーナ国は紀元前6世紀において十六大国のひとつだった[1]。シューラセーナ国は叙事詩『ラーマーヤナ』でも言及されている。古代ギリシアの作家(メガステネスら)はスラセノイ族およびメトラという都市に言及している[2]

語源

シューラセーナという名前の起源についてはいくつかの伝統的な説がある。その1つによれば、ヤーダヴァ族の有名な王の名前 (Shurasenaに由来するという[3]。シューラセーナ国はクリシュナが生まれ育ち、統治した国だった[4]

歴史

マハーバーラタ』とプラーナ文献は、マトゥラー地域の支配者をヤドゥ族(ヤーダヴァ族)としている。ヤーダヴァ族はヴリシュニ族を含む多数の部族に分かれていた[5][6]。ヴリシュニ族やアンダカ族は共和制サンガ)を形成したことが古文献に伝えられている[7]

仏典によれば、釈迦の主要な弟子のひとりであるマハーカッチャーナがこの地域に仏教を伝えたとされるが、当時のシューラセーナ王アヴァンティプッタについて言及している[5]

首都のマトゥラーヤムナー川河畔に位置し、現在はヒンドゥー教徒の聖地になっている。古代ギリシア人の作家は同じ地域の別の都市であるクレイソボラに言及している[2]

考古学的発掘はマトゥラーが村から重要な都市へと次第に発達したことを示す。最初期は彩文灰色土器文化英語版(紀元前1100-500年)に属し、北方黒色磨研土器英語版(紀元前700-200年)がそれに次ぐ。マトゥラーはガンガー平野大幹道と中央インドのマールワーと西インドを結ぶ道が交わる交易の中心地に位置したことによって重要であった[8]

脚注

  1. ^ Raychaudhuri 1972, p. 85
  2. ^ a b Raychaudhuri 1972, p. 71
  3. ^ New Indian Antiquary (1943). New Indian Antiquary, Volumes 5-6. Karnatak Publishing House., Original from the University of California. pp. 127. https://books.google.com/books?id=4gO2AAAAIAAJ&q=Surasena+abhira+ahir&dq=Surasena+abhira+ahir&hl=en&sa=X&ei=orARVYzuD9O6uATqjYLoAQ&ved=0CDgQ6AEwBjgK. 
  4. ^ Royal Asiatic Society of Great Britain and Ireland (1899). Journal of the Royal Asiatic Society of Great Britain and Ireland. Cambridge University Press for the Royal Asiatic Society, Original from the University of Michigan. pp. 322. https://books.google.com/books?id=uPH8slH5A6EC&q=Surasena+abhira+ahir&dq=Surasena+abhira+ahir&hl=en&sa=X&ei=Vq4RVc6DMI2LuwSbxYGAAg&ved=0CCEQ6AEwAQ. 
  5. ^ a b Raychaudhuri 1972, p. 128
  6. ^ Singh 2008, p. 264
  7. ^ 中村(1997) pp.379-380
  8. ^ Upinder Singh (2008). A History of Ancient and Early Medieval India: From the Stone Age to the 12th Century. Pearson Education India. pp. 281, 336. ISBN 978-81-317-1120-0. https://books.google.com/books?id=H3lUIIYxWkEC&pg=PA281. 

参考文献

  • Raychaudhuri, H.C. (1972), Political History of Ancient India: From the Accession of Parikshit to the Extinction of the Gupta Dynasty, Calcutta: University of Calcutta 
  • Singh, Upinder (2008), A History of Ancient and Early Medieval India: From the Stone Age to the 12th Century, Delhi: Pearson Education, ISBN 978-81-317-1677-9 
  • 中村元『インド史I』春秋社〈中村元選集5〉、1997年。 ISBN 4393312058

シューラセーナ国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 05:21 UTC 版)

十六大国」の記事における「シューラセーナ国」の解説

「シューラセーナ国」も参照 シューラセーナ国の首都マトゥラーである。 ヤーダヴァ族(この部族は更に6つあまりの部族分かれていた)を中心とした数多く部族によって形成されていた。いくつかの部族ガナ・サンガ制採用していたという。 マガダ国ナンダ朝マハーパドマによって滅ぼされた。

※この「シューラセーナ国」の解説は、「十六大国」の解説の一部です。
「シューラセーナ国」を含む「十六大国」の記事については、「十六大国」の概要を参照ください。

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