カシオペアでの活動前期・ソロ活動以前(1980年代前半)
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当時すでにカシオペアはプロデビューを果たしていたが、1980年2月に神保が加入してすぐにライブ・レコーディングされた3枚目のアルバム『THUNDER LIVE』が、音楽誌『ADLiB』の連載企画「ブラインド・フォールド・テスト」(来日した海外のフュージョン系の著名ミュージシャンに、日本のフュージョン系アーティストの新譜レコードをアーティスト名やプロフィールなど目隠し状態で伏せて聴かせて、音だけの判断で評論してもらう)で賞賛され続けたことで話題を呼び、人気が一気に高まっていく。以降、カシオペアはアルバムを出すごとに売り上げを伸ばし続け、ライブの規模と動員もそれに伴い大きくなる。 1980年夏、4枚目のアルバム『MAKE UP CITY』制作において4人のメンバー全員の自作曲を入れることにした際、一人だけ作曲経験の無かった神保にカシオペアの楽曲におけるメインライターであったリーダー兼ギタリストの野呂一生は自分が覚えてきた作曲方法を伝授した。以後、神保はソングライターとしての才能も開花させることになっていく。同年秋から冬にかけて、カシオペアはアメリカのロサンゼルスに一ヶ月滞在して、ハービー・メイソンのプロデュースの下、アメリカ向けアルバム『EYES OF THE MIND』のレコーディングを行った。 1981年春、慶應義塾大学を卒業し、プロミュージシャンとして社会に出る。 1982年、カシオペアは本格的な海外活動を開始していくその前に、当時の所属レコード会社・アルファレコードの計らいで、メンバー一人一人が世界の好きな場所で海外渡航経験を積むことにした。神保はニューヨークやニューオリンズなどアメリカにおける幾つかの音楽が盛んな都市を廻ってきた。帰国直後、ニューヨーク滞在時の想い出を基にして作ったのがカシオペアのアルバム『FOUR BY FOUR』収録の「MID-MANHATTAN」。この曲はライブで人気曲となり、近年でもカシオペアの活動形態、CASIOPEA 3rdのほか、神保が参加するライブでも頻繁に演奏されている。 1984年、当時まだ未発売で試作の段階であったヤマハの電子ドラムのデモンストレーターとなる。当初はヤマハ主催のデジタル機材を中心とした楽器イベントのデモ演奏で披露するのみであったが、1986年からはカシオペアのライブにおいてもそれまでのシモンズ製のものからヤマハ製のものに代えて披露されるようになっていく。電子ドラムと生ドラムを合わせた演奏の模様は、1986年末に収録されたライブビデオ『CASIOPEA PERFECT LIVE』の「Drums solo」で観られる。
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