カシオペアでの活動後期・ソロ活動開始(1980年代後半)
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1980年代当時のカシオペアは年間2枚のアルバム制作と国内外で年間100本前後に渡るライブをこなしていた。常にカシオペアはグループとしての活動を優先させたため、メンバーのソロ活動は制限されることになり、他のバンドとの掛け持ちもできなかった。1980年代前半、神保のカシオペア以外の場における音楽活動は他のメンバーと共に参加したいくつかのレコーディング・セッションのみで、ソロ活動を始めていくのは1980年代後半になってからだった。 1985年、カシオペアにデビュー以来初めてのまとまったソロ活動期間が設けられた際、他のメンバーがソロアルバムを制作するなかで、神保だけはまだそのときは作らなかった。その代わり、この年は前年に向谷実がサウンド・プロデュースした亜蘭知子のアルバム『More Relax』に楽曲提供と演奏で参加したことが評価されて、彼女の次作アルバム『IMITATION LONELY ―都会は、淋しがりやのオモチャ箱―』と当時人気絶頂期だった中森明菜のアルバム『BITTER AND SWEET』の制作(楽曲提供と演奏)に参加した。翌1986年、再び設けられたソロ活動期間において、ロサンゼルス・レコーディングで初めてのソロアルバム『COTTON』を制作して発表する。神保以外は現地在住のミュージシャンを起用し、当時のカシオペアとは対極的なアコースティック楽器とボーカルやコーラスをフィーチャーしたウォームなスムースジャズのサウンドに従来からのファンは驚いたが、以降のソロ名義によるアルバム制作もこのファーストアルバムの路線で続けられることになっていった。 1989年、カシオペアはグループとしての活動を休止し、3度目のソロ活動期間が設けられることになった。神保はそのなかで2作目のソロアルバム『PALLETE』を制作したほかに、櫻井と一緒にボーカル音楽のバンド「シャンバラ」を結成して、アルバム制作とライブ活動も行い始めた。しかし、野呂と向谷は「シャンバラを継続的に活動させると、カシオペアの活動再開に支障を与える」として2人に活動停止を要請した。これに対し、櫻井と神保はカシオペアの活動と両立できると主張した。両陣営は最後まで平行線を辿って物別れになり、櫻井と神保は1989年限りでカシオペアから脱退してしまう。後年の1997年にカシオペアの現役とOBメンバーが集まって収録されたトーク&スタジオライブのテレビ番組『THE MINT CLUB』(CASIOPEA with TETSUO SAKURAI/AKIRA JIMBO『THE MINT SESSION』としてもDVDソフト化)の中で神保は脱退直前のカシオペアについて次のように述懐している。 僕ら4人(野呂・向谷・櫻井・神保)で、ずっとやってて、最後の方は金魚鉢の金魚が酸素がなくなって(口を)パクパクさせているみたいな感じが自分の中でイメージがあったんです
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