オーストラリア祈念碑軍人墓地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/31 16:28 UTC 版)
「ヴィレ=ブルトヌー」の記事における「オーストラリア祈念碑軍人墓地」の解説
ヴィレ=ブルトヌーからフイヨワに至る緩やかな勾配の地形にある県道D23号線の脇にある、フイヨワのコミューン内に数千の白い石柱を集めて石段の並木道の建築線とし、その道は堂々とした立派な記念碑である石造のパビリオンに向かって延びている。「回想の石」と呼ばれる大きくて非常に簡素な石段の上の平行六面体のオブジェには英文で「Their name liveth for evermore. 」 (彼らの名前は永遠に生き続ける。)と彫られている。 画像をクリックして拡大 フイヨワ内の「ヴィレ=ブルトヌー国立オーストラリア祈念碑」 軍人墓地の入口にある右側 (南側) のパビリオン 道の両側が白い石柱の建築線に囲まれた並木道が続く石段 墓地と白色の高い十字架 (犠牲者の十字架) の向こうには、周囲を見下ろす塔が立っている。高い壁のどちらにも厳かに多数の兵士の名前が刻まれており、左右対称の二つのパビリオンは繋がっており、白い石造の両翼で囲まれた一種の中庭を形成している。二つのパビリオンと塔の頂上の角は国旗で飾られている。そこでは(頂上からどの方角にどの建物や町があるかを示す)方位盤を収容・保護しており、祈念碑が設置されている台地の頂上に向かって石段を登る観光客の集団に対して、下方にある軍人墓地とコルビならびにその周辺地の景色を見せてくれる。 祈念碑と墓地にある十字架には未だ第二次世界大戦中に被った被害の爪痕が残っており、その状態の修復が必要となっている。 毎年4月25日には、「ヴィレ=ブルトヌー国立オーストラリア祈念碑」がアンザック・デーの式典の主会場となる。 第一次世界大戦で戦死したり行方不明になったりした兵士の遺族と同様に、オーストラリアとニュージーランドの当局者も参列する。これらは、刻まれた名前のほかに、紙製や布製の (フランスの国旗の赤を表す)ヒナゲシを墓に供える為に固定して取り付けたり、具体的な個人名が刻まれていない集合共同祈念碑の代わりに、故人の名前を祈念碑に刻んだりして、彼らの墓参行為を証明付けていく。 画像をクリックして拡大 遠近法の錯覚を利用して犠牲者の十字架を記念塔と同じくらい高く見せている。 飛行機から見た建物 (北東から3/4後方) 塔の上から東の風景 紙製のヒナゲシが壁に固定され、花や板が土台として置かれている (塔の上から撮影)。
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