インターセクショナリティの発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 19:39 UTC 版)
「インターセクショナリティ」の記事における「インターセクショナリティの発展」の解説
米国のフェミニズム運動が黒人女性を長らく疎外したため、アンナ・J・クーパーをはじめとする、19世紀や20世紀に活躍した多くの黒人フェミニストは批判の声をあげていた。経済的に余裕のある白人女性が主導したフェミニズム運動による「女性は均一なカテゴリーであり、同一の生活体験を有する」とする考え方に批判が上がったのである。このような批判を元に、「女性が経験する抑圧は彼女の性別だけでなく、人種や経済状況、障害の有無などで大きく異なる」という認識が一度定着すると、フェミニストたちはどのアイデンティティがいかに組み合わさって「女性の運命を決定付ける」のか、研究を始めた。 「インターセクショナリティ」という用語は、1989年に黒人女性学・法学研究者キンバリー・ウィリアムズ・クレンショーによって発案されたものだが、それまでに多くの有色人種のフェミニスト達が行った研究が基礎となった。例えば、1970年代にボストンのブラック・レズビアン・フェミニスト団体、コンバヒー・リバー・コレクティブ(英語版)が提唱した「同時性」を意味する"simultaneity"という概念は、人種、ジェンダー、社会階級が同時に及ぼす影響について言及し、黒人男性が主導した公民権運動や、白人、シスジェンダー、中流階級の異性愛者が主導したフェミニズムを批判していた。 もともとインターセクショナリティは、有色人種の女性に対する社会的な抑圧を理解するために編み出された理論だが、その汎用性の高さから性的指向、階級、国籍、体型などの身体的特徴、能力や障害の有無など、より多くの社会属性の影響を研究するためにも使われる。 第三波、第四波フェミニズムに代表される現代のフェミニズムでインターセクショナリティが重要視されていることは、1848年のセネカ・フォールズ会議(英語版)以来続いた中流階級の白人シスジェンダー女性中心のフェミニズムから大きく方向転換していることを表している。作家のベル・フックスが述べたように、インターセクショナリティの広がりは「ジェンダーが女性の運命を決める一番大切な要因であるという考え方に、真っ向から挑んだ」。レズリー・マッコール(英語版)を始めとする近年の社会学者の多くが、インターセクショナリティ理論の誕生が社会学に及ぼした多大な影響を評価し、それ以前は複数の抑圧を経験する人々の経験に注目した研究は少なかったと指摘した。
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