イタリア統治時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 07:24 UTC 版)
「イタリアのアルバニア侵攻」の記事における「イタリア統治時代」の解説
1939年4月15日、イタリア王国の従属国となったアルバニア王国は宗主国に歩調を合わせて国際連盟から脱退した。その後、イタリアはフランスの敗北が決定的になった1940年6月10日、イギリス、フランスと開戦し、さらに1941年12月には日本とアメリカが戦争状態に入ったことを受けてドイツと共にアメリカに宣戦布告するなど、日本・ドイツと並ぶ枢軸国の一国として本格的に参戦することになるがアルバニアの統治は確実にその深度を増していった。 1939年6月3日、アルバニア外務省に解散命令が出され、職員はイタリア外務省のアルバニア大使館職員として吸収された。アルバニア政府の外務大臣ジェミル・ベイ・ディノー(Xhemil Dino)もイタリア政府のアルバニア駐在大使に転任した。国家ファシスト党の影響を受けて結成されたアルバニア・ファシスト党(PFSh)が政権を担当し、アルバニア軍の各部隊はイタリア国防省の指揮下に移され、1940年には正式にイタリア陸軍に外国人師団として統合された。また各地のイタリア人入植者を集めて幾つかの黒シャツ師団が新規編成されたが、PFSh党の部隊(アルバニア民兵隊、アルバニア黒シャツ隊)がこれらの補充要員として編入された。 1939年9月に第二次世界大戦が始まり、1940年10月28日にイタリアがギリシャに侵攻を開始する(ギリシャ・イタリア戦争)と、補助戦力としてのアルバニア人師団が各地で編成された。アルバニア政府、及びイタリア政府はゾグー時代から唱えられた大アルバニア主義を鼓舞し、アルバニア人の国家主義者も戦争を歓迎した。だが現実にはアルバニア人兵士の士気は非常に低く、戦う者よりギリシャ人に投降したりパルチザン化するものの方が多く、イタリア陸軍の手間を増やしただけに終わった。ドイツの参戦(ギリシャの戦い)でなんとか勝利に帰した後、イタリアが獲得したギリシャ領の一部はアルバニアに編入され大アルバニアが実現したがあくまで形式上に過ぎず、実際はアルバニア本土も含めてイタリアによる統治が行われた(イタリア化)。
※この「イタリア統治時代」の解説は、「イタリアのアルバニア侵攻」の解説の一部です。
「イタリア統治時代」を含む「イタリアのアルバニア侵攻」の記事については、「イタリアのアルバニア侵攻」の概要を参照ください。
- イタリア統治時代のページへのリンク