イタリア統一における活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 10:28 UTC 版)
「エンリコ・チャルディーニ」の記事における「イタリア統一における活躍」の解説
1845年ごろにスペインにてマリア・マルティネス・デ・レオンと結婚し、その後はイタリアに戻り入隊。第一次イタリア独立戦争(英語版)ではサルデーニャ軍(イタリア語版)の将校としてジャコモ・デュランド(イタリア語版)将軍などとともに参戦。チャルディーニが指揮をした戦いとしては、ダニエーレ・マニンらが主導するサン・マルコ共和国を防衛するため、ジョバンニ・デュランド(イタリア語版)など元教皇軍だった愛国的志願兵と専制主義を志向するヨーゼフ・ラデツキー率いるオーストリア帝国軍との間でヴィンチェンツァで繰り広げられたモンテべリコの戦い(イタリア語版)、第一次イタリア独立戦争(英語版)におけるサルデーニャ王国の敗戦が濃厚となったノヴァーラの戦いなどが挙げられる。 敗戦後、チャルディーニはサルデーニャ王国に残り、1853年にはクリミア戦争に参加。パトリス・ド・マクマオン率いるフランス軍などと戦略を共にした。 第二次イタリア独立戦争では、戦争初期の1859年5月31日に起こったパレストロの戦いをはじめ、1860年9月にはカステルフィダルドの戦い(英語版)およびアンコーナ包囲戦(イタリア語版)を指揮して教皇軍を撃退し、アンコーナやペルージャなどの重要な都市を奪取、マルケやウンブリアなど教皇領の大部分の併合に導いた。この功績があり、翌月には陸軍大将に昇格。そのままヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の指示で南イタリアへと赴いてマチェローネの戦い(イタリア語版)やガリリアーノの戦い(イタリア語版)で両シチリア王国軍(英語版)を破った。その後、フランスやスペインの支援を受けてフランチェスコ2世が立てこもるガエータを攻略し(ガエータ攻略(英語版))、両シチリア王国やブルボン派を降伏に追い込むことに大きく貢献した。この活躍により、チャルディーニは特別な称号として1140年以降途絶えていたガエータ公(英語版)に叙任されている。
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