イタリア統治時代の運営
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 09:05 UTC 版)
「エリトリア鉄道」の記事における「イタリア統治時代の運営」の解説
エリトリア鉄道は路線は短かったが、よく活用された。特に1935年に第二次エチオピア戦争が始まってからは物資輸送のために一日30本が運転された。 1941年まではイタリアが運営していたが、第二次世界大戦が始まってからイギリスに奪われた。戦争が進むと、アゴルダトとビシアの間が破壊された。1942年、イギリスはイタリア領ソマリランド南部のモガディシオ・ヴィラブルッチ鉄道からディーゼル機関車数台をエリトリア鉄道に移した。1953年、エリトリアはイギリスからエチオピアに譲られた。その後1960年代まで鉄道事業は順調だったが、しかし、1960年代にマッサワとアスマラ間の道路が整備されてからは、こちらが主流となった。エリトリア鉄道建設から1965年までに、乗客約50万人、貨物20万トンが運ばれた。 1975年にエリトリア独立戦争の際にメンギスツが主導するデルグ政権(英語版)により破壊され、また、物資も略奪された。
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