アメリカ合衆国訪問
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 17:50 UTC 版)
1975年(昭和50年)には、当時のジェラルド・R・フォード米大統領の招待によって9月30日から10月14日まで14日間に亘って、香淳皇后同伴でアメリカ合衆国を公式訪問した。なお、フォード大統領はその前年の1974年(昭和49年)11月18日-11月22日の日程で、アメリカ合衆国大統領として初めて日本を訪問していた。天皇の即位後の訪米は史上初の出来事である(ただし、上述通り4年前の訪欧の際に米国にも立ち寄りはしている)。 この時も日本航空のダグラスDC-8型機を利用し、このときはアメリカ陸海空軍に加え海兵隊、沿岸警備隊の5軍をもって観閲儀仗を行っている。訪米に前後し、日本国内では反米的な左翼組織東アジア反日武装戦線などによるテロが相次いだ。 昭和天皇はバージニア州ウィリアムズバーグに到着したあと、2週間にわたって米国に滞在し訪米前の予想を覆してワシントンD.C.やロサンゼルスなど、訪問先各地で大歓迎を受けた。10月2日のフォード大統領との公式会見、10月3日のアーリントン国立墓地に眠る無名戦士の墓への献花、10月4日のニューヨークでのロックフェラー邸訪問と米国のマスメディアは連日大々的に報道し、新聞紙面のトップは昭和天皇の写真で埋まった(在米日本大使館の職員たちは、その写真をスクラップして壁に張り出したという。)。ニューヨーク訪問時には、真珠湾攻撃の生存者で構成される「パールハーバー生存者協会」が「天皇歓迎決議」を採択している。訪米中は学者らしく、植物園などでのエピソードが多かった。 ホワイトハウス晩餐会でのスピーチでは、「戦後アメリカが日本の再建に協力したことへの感謝の辞」などが読み上げられた。ロサンゼルス滞在時にはディズニーランドを訪問し、ミッキーマウスの隣で微笑む写真も新聞の紙面を飾り、同地ではミッキーマウスの腕時計を購入したことが話題になった。帰国当日に2種類の記念切手・切手シートが発行され、この訪米が一大事業であったことを物語っている。昭和天皇の外遊は、この(2回目の)訪米が最後のものであった。 なお、訪米に前後して史上初めての天皇・皇后の公式な記者会見が行われたことも画期的となった。
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