アメリカ合衆国義勇軍 (American Volunteer Group, AVG) の誕生
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「フライング・タイガース」の記事における「アメリカ合衆国義勇軍 (American Volunteer Group, AVG) の誕生」の解説
本国到着後、ルーズベルトの後ろ盾を得て、戦闘機100機とパイロット100名、200名の地上要員を米軍内から集める権利を取得、その後米軍内でパイロットを募集開始した。ただし日米はいまだ中立関係であったため採用されたパイロットは形式上義勇兵となる形になるため、米軍を一旦退役する必要があった。 そしてAVGとしての活動中、以下の待遇が約束された。 軍退役後は全メンバーに一時金500ドルを支給 中国での軍務の終了後、元の階級での復帰を約束 毎月600ドルを全てのパイロットに支給 月支給プラス敵機を1機撃墜するごとに500ドルを支給 その結果シェンノートの下にはかつて共に飛んだ「フライング・トラピーズ」(陸軍統括の飛行部隊)の隊員など、それなりの熟練者も入隊した。しかし最終的には隊員の基準は当初よりも落とさざるを得なかった。さらに、「日本軍の飛行機は旧式である」「日本人は眼鏡をかけているから、操縦適性がない」と楽観的な見通しを述べて募集する面接官もいた。さらに募集した隊員の中には操縦未熟練者も多かったために、その後の中国現地にて再訓練に時間を要した。 最終的にAVGのパイロットは39州から海軍50名・陸軍35名・海兵隊15名の合計100名で編成。しかし戦闘機訓練と航空機射撃の訓練を受けてきたパイロットは1/3しかおらず、むしろ爆撃機の経験者が多かった。そこでシェンノートは本国で提唱していたが無視され続けてきた一撃離脱戦法を、隊員たちに徹底的に訓練させた。しかし訓練は非常に厳しく、集まったパイロット40名を含む136名が部隊を去り、最終的にパイロット70名、地上勤務員104名となってしまった。そのため、最終的に半数は現地の中国人から採用して訓練した部隊となった。部隊名は中華民国軍の関係者からは中国故事に習い「飛虎」と名づけ、世界からはワシントンD.C.に置かれた「中国援助オフィス」が設立した「フライングタイガース」の名称で知られるようになる。
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