アメフト選手として
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「コージ・トクダ」の記事における「アメフト選手として」の解説
大学時代は法政大学体育会アメリカンフットボール部(法政大学トマホークス(現:法政大学オレンジ))に所属。ポジションはDEだった。 大学1年時(2006年度)に甲子園ボウルで関西学院大学に勝利し、大学日本一となった。大学1年時の背番号は「92」、大学2年時から4年時は「44」。 2008年度甲子園ボウル出場(8 - 19で立命館大学に敗退) 2009年度(大学4年時)は主将を務めた(部員全員の投票にて)。関東リーグ戦(2004年 - 2014年)73連勝の歴代主将の一人。 2009年関東決勝(クラッシュボウル、早稲田大学に38 - 11で勝利、その時の選手紹介文は「闘将徳田、熱きタフガイ」)。 2009年度甲子園ボウル出場(全日本大学アメリカンフットボール選手権、38 - 50で関西大学に敗退、観衆25,000人) 2009年度オール関東「アンダーアーマーカレッジボウル2010川崎」(一部リーグA・Bブロックのオールスター同士の試合、Aブロック主将、14 - 7で勝利)敢闘賞受賞。大手企業数社から内々定をもらっていたが断り、親の大反対もあったが「エンターテイナーになって日本文化を発信したい」とお笑いの世界へ入った。 アメフト歴は高校・大学の計7年。 2016年発行の甲子園ボウルの記念誌に、「アメフトへの恩返しがしたい」との想いを綴っている。 2020年3月18日、アメリカンフットボールの選手として復帰し、社会人Xリーグ(X1 Area)でのプレーを目指しチームと交渉していることが報じられた。3月30日に福岡市を本拠地とする社会人アメリカンフットボールチームみらいふ福岡SUNSに大学の同級生である栗原嵩と加入することが発表された。 11月1日、神戸市立王子スタジアムにて10年振りの復帰試合が行われた。対戦相手は同じリーグに所属するアズワンブラックイーグルス(34 - 20で勝利をおさめた)。 入団会見時に「初戦で必ずQBサック(英語版)を決めます」と公言していた。試合終盤、公言通りQBサックを決めた。
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