アフィントンの白馬
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「ヒルフィギュア」の記事における「アフィントンの白馬」の解説
アフィントンの白馬(Uffington White Horse/Uffington Horse)は、様式化された線で画かれた馬のヒルフィギュアである。「アッフィントンの白馬」とも表記する。長さ110メートル。イングランド南部、ウォンテジの西方約8 km、鉄器時代の砦跡(Uffington Castle)のある丘の斜面に刻まれている。地上から図の全貌を眺めることは難しいが、「White Horse Hill car park」や「Uffington White Horse」を目指すと、道中遠方から全体を確認することができる 1994年の考古学調査時に行われたOSL(英語版)年代測定結果から、約3000年前の青銅器時代から存在しているとされている。またこの周辺には多くの先史時代の遺跡が存在している。 この馬のヒルフィギュアは、丘の砦に関係する部族のシンボルではないかと考えられている。デザインはケルト人のコインを模しているという説もある(比較写真)。最近の説では、街道の通行者に馬を宣伝するためのものだったともいわれる。地元の人々の間では何世紀もの間、ゲオルギウスが殺したドラゴンの図だと思われていた。 長年、伝統的な祭の一環として、7年ごとのヒルフィギュアの手入れが続けられていたが、19世紀後半からは地元による定期的な管理が行われなくなり、図が不明瞭になっていったため、現在はイングリッシュ・ヘリテッジによる保存管理が行われている。
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アフィントンの白馬
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「ヘンギストとホルサ」の記事における「アフィントンの白馬」の解説
17世紀の作家ジョン・オーブリーは、ヘンギストとホルサのブリテン征服の旗印として馬が用いられたとし、オックスフォードシャーの丘に残るヒルフィギュア「アフィントンの白馬」は彼ら兄弟によるものだとした。しかしオーブリーは他の文章では「白馬」をローマ時代以前のブリトン人のものとしている(鉄器時代のブリトン人の硬貨に馬の意匠があることを根拠としている)。その結果、オーブリーの死後3世紀にわたって、「白馬」の作者をめぐってサクソン人説と古代ブリトン人説の間で論争が繰り広げられることになった。1995年、デイヴィッド・マイルズやサイモン・パルマーらオックスフォード大学の考古学チームが光刺激ルミネッセンス法を用いて「白馬」の年代測定を行った。その結果、この地上絵は両説よりもさかのぼる、青銅器時代後期のものであることが分かった。
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