アジア人社会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/04 02:17 UTC 版)
「グリーンズボロ (ノースカロライナ州)」の記事における「アジア人社会」の解説
1979年以降、約4,000人のベトナム人が難民あるいは二次移民としてグリーンズボロ地域に再定住した。彼等は文化的に、民族的にまた宗教的に異なった人々であり、広範な社会基盤に組み入れられている訳ではない。「モンタナール」(フランス語で山岳民)はベトナム高地から北多くの種族出身の移民である。ベトナム戦争までは孤立した山地農業を営み、狩猟採集を行っていたが、アメリカ合衆国政府がアメリカ陸軍特別部隊のために前線兵士として徴用した。約5,000人のモンタナールがギルフォード郡に入り、ベトナム以外では世界でも最大のモンタナール社会となった。ベトナム北部の種族であるヌン族の数百人もグリーンズボロに入り、モンタナール種族の社会と結びついていることが多い。 1980年代初期、初めてのカンボジア人がグリーンズボロに再定着した。約60家族ほど、約500人の安定した社会がグリーンズボロ仏教徒センターと密接に連携している。さらに近くのダビッドソン郡に多いことを含め、トライアド周辺には800人の元カンボジア人が住んでいる。 グリーンズボロはラオス人にとっては当初の再定着地域ではなかった。しかし、1980年代半ばから、多くの家族が他の州からの二次移民としてやって来て、現在ではラオス人人口は約1,000人で安定している。ラオスから来た山岳性難民、大半はモン族数家族がギルフォード郡に住んでおり、さらに50人以上の学生がグリーンズボロにあるノースカロライナ大学で学んでいる。グリーンズボロに移ってきたその他のラオス山岳民としては、約200人のクムー族難民やその他種族の少数集団がいる。約2,000人の朝鮮人がギルフォード郡に住んでおり、多くはしっかりと定着している。地元の中国人協会は主に本土中国の出身者で構成され、数百人の会員がいる。グリーンズボロに住む華僑の数は数千に及ぶ。 インド人移民の人口は2,000人以上と推計されており、グリーンズボロ地域でうまく定着し、すでに長い歴史もできてきた。多くのインド人移民は市の大学や医療分野に進出し、多様な社会構造を作ってきた。この地域には推計600人のパキスタン人が住んでおり、他に推計1,000人のパレスチナ人もいて、ピードモント・トライアド地域にはさらに数千人がいる(多くのパレスチナ人は1967年の戦争後にこの地域に移ってきた)。数百人のイスラエル人もトライアドに移住してきており、特に国際的な事業に従事している。
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