アショカ・ジャパン
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一般社団法人アショカ・ジャパンは、東アジア最初の拠点として2011年1月に発足。アショカ・フェローの発掘・支援と、ユースベンチャー・プログラムを二つの軸に活動している。 ユースベンチャーは、社会を変えるための活動を行う20歳以下の若者チェンジメーカーを支援する取り組み。 創設者・代表は渡邊奈々。ニューヨークやパリで写真家として活躍していた彼女は、バブル崩壊後の日本へ帰省した際、疲れきったくらい表情のサラリーマンたちを目にし、不安感を抱いた。沈みかけている日本の若者には、新しいロールモデルが必要だと感じた彼女は、当時アメリカのエリート学生に注目され始めていた、来る時代の象徴とも呼べる「ソーシャルアントレプレナー」を見つけ出し、2000年から、6年間かけて150人をインタビューした。この記事は雑誌『pen』や『フィガロ・ジャポン』で連載され、その一部が2005年『チェンジメーカー:社会起業家が世の中を変える』、続けて2007年『社会起業家という仕事:チェンジメーカーII』として上梓された。これらの活動を通して、渡邊は「ソーシャル・アントレプレナー(社会起業家)」という生き方・働き方を日本へ紹介した人物とされている。 インタビューをした社会起業家のうち数人が、後に「アショカ・フェロー」として選ばれたことを知り、アショカのことを知る。目の前にある問題に対処する、従来のチャリティ的なアプローチではなく、「目に見える社会の歪みを生む根本的な構造的欠陥を突き止め介入する」という社会問題解決の新しい発想に魅入られる。アショカのビジョンを導入することが、閉塞感が漂う日本に風穴を開けるのではないかと考え、ワシントンDCのアショカ・グローバルオフィスの門を叩き、3年かけてアショカ・ジャパンを発足させた。 発足後すぐに、東日本大震災が起きた。復興を助ける担い手として、12~20 歳の若者に焦点を当て、彼らがアイデアを出し行動しやすくする取り組みとして、米グローバルギビング(クラウドファンディングの元祖と呼ばれる)から助成金を受け、ユースベンチャーのプログラムを立ち上げる。2017年ごろから、復興関連だけではなく、それぞれの若者が問題として捉える、日本社会のあらゆる綻びに対して行動を起こす全国の若者へと対象を拡大。2021年9月現在、112組の若者チェンジメーカーを選出し、彼らが自由に挑戦できる環境を提供している。自分の心の眼が捉えた社会の歪みを、分析的な頭脳を駆使して解決策を生み出す、という「チェンジメーキングの練習の場」とも呼べるユースベンチャーの取り組みは拡大している。
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