アショーカの王妃・親族・家臣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/12 02:31 UTC 版)
「アショーカ王」の記事における「アショーカの王妃・親族・家臣」の解説
アショーカが兄弟のほとんどを殺したという仏典の説話が事実ではないことは、彼の残した碑文に兄弟が各地に総督として送られたことを示すものがあることから知られる。記録が全てを網羅していないために個々の力関係や完全な系譜は復元できないものの、何人かの人物とアショーカ王との関係が読み取れる。アショーカには多くの王妃や王子がおり、彼らの名前が伝説に残されているが、考古学的に名の知られる者は少ない。王妃については伝説的な人物が多い。 ビンドゥサーラ マウリヤ朝の王でありアショーカの父。彼についての記録は少ない。 アサンディーミトラ アショーカ王の正妃。 カールヴァキー(英語版) アショーカの王妃。詔勅文に名前が記録されている数少ない王妃である。 ティシヤラクシター(英語版) 伝説ではアショーカの寵姫。王子クナーラを嫌い、計略を用いて彼の目をえぐらせたためにアショーカに罰せられたという伝説がある。 デーヴィー(英語版) アショーカの王妃。商人の娘でウッジャインの反乱の時負傷したアショーカを介護したことから見初められ妻になったという伝説がある。 クナーラ(英語版) アショーカの息子。多くの文献にアショーカの後継者と記されている。王妃(一説ではティシヤラクシター)に傷つけられたという伝説がある。 ジャラウカ アショーカの息子。非常に有力かつ有能な王子であり、「地上を覆った蛮族(ギリシア人のことか)」を撃退し、ガンジス上流域の支配にあたった。カシミール地方で独立したという説もある。 マヒンダ アショーカの息子、又は弟。スリランカに仏教を伝えたという伝説がある。『マハーヴァンサ』にはアショーカの息子とあるが、玄奘によればアショーカの弟であると伝えられる。 サンガミッター(英語版) アショーカの娘。マヒンダの姉妹。伝説によればアヌラーダプラを統治していたティッサ王の要請によって数名の比丘尼と共にスリランカに派遣され、王の妃や後宮の女性たちを出家させ、比丘尼サンガを伝えたとされる。 ヴィータショーカ(英語版) アショーカの同母兄弟。 ティッサ アショーカの同母兄弟で同母の中では末の弟。アショーカの即位直後、最高顧問として副王(ウパラージャ (英語版))の地位に付けられた。ヴィータショーカと同一人物ともされる。 スシーマ(英語版) アショーカの異母兄弟。ビンドゥサーラにアショーカの讒言を繰り返したという。ビンドゥサーラが病に倒れるとアショーカと王位を争って敗死した。 ラーダグプタ アショーカの家臣。宰相の地位にありアショーカの王位獲得に重要な役割を演じたといわれている。この時代の大臣として名前のわかる数少ない人物。
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