アシスタントの変遷
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「ヤングタウン日曜日」の記事における「アシスタントの変遷」の解説
2006年4月2日の生放送をもって、井上智栄子が卒業。その後、2006年4月9日放送からのアシスタントは、オラリーを中心としたヤンタンガールズが番組途中から担当する。「選考期間」として喋りのプロ・アマを問わずさまざまな女性を出演させたが、同年6月からは、正式に國丸純、田口万莉(いずれも松竹芸能)、オラリー(素人)の3人が正アシスタントに決定する。 オラリー 尼崎の会社で勤務しているOLで、お風呂でラジオを聞いている時に新アシスタントの告知をしていて、電話をかけた時のリアクションが受けて翌週友人と出演。「オラリー」という名前は前のレギュラーだった井上が「外国人の名前といえば?」という問いに答えた名前。それをそのままペンネームにしたため、そのままオラリーと呼ばれる事になった。2009年5月3日の放送で、5月いっぱいでの番組卒業が発表された。その後オラリーの結婚、妊娠が発覚し産休の形となった。 田口万莉 松竹芸能の女性タレントが勢ぞろいした時に最もインパクトがあった為にその後何度か出演し、これが評価されてレギュラーになった。オラリーと同じく2009年5月に一旦は卒業が発表されたが、公開オーディションの中で独特の特異キャラが再認識され引き続きアシスタントとして残ることとなった。 國丸純 田口と同じ理由で出演。2006年12月から翌年1月は「大沢純」の芸名で活動した。主にレポーターとして活動していたが、2007年4月1日の放送をもって卒業。代わって笑福亭瓶成が担当(不祥事により降板)。 林実里 オーディションの結果、2009年7月19日の放送から出演。笑福亭鶴瓶の大学の後輩(京都産業大学)である。 負け越し そのオーディションで落選したが敗者復活戦で勝ちあがり、現在では正式なレギュラーとなる。負け越し相談室などコーナーができ、負け越し抱き枕や負けちゃん人形が番組ノベルティになるなど、今や番組のちょっとした名物となっている。
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アシスタントの変遷
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「小松士郎のラジオのたまご」の記事における「アシスタントの変遷」の解説
太字は担当当時現職の熊本放送(RKK)アナウンサー。 期間担当曜日月曜火曜水曜木曜金曜2005年4月4日 - 2007年9月江上浩子 江上浩子 村岡章子 江上浩子 2007年9月 - 2009年3月27日村岡章子 村岡章子 江上浩子 2009年3月30日 - 2010年4月2日岡村清香 2010年4月5日 - 2011年3月村岡章子 須藤あき 須藤あき 2011年4月 - 2013年3月本田恭子 本田恭子 2013年4月 - 2014年3月檜室英子 2014年4月 - 2015年1月野溝美子 2015年2月 - 3月野溝美子 須藤あき 2015年4月 - 2017年3月マッキー[要曖昧さ回避] 藤本愛英 2017年3月 - 9月29日西村赤音 村岡章子
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アシスタントの変遷
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「爆笑問題の日曜サンデー」の記事における「アシスタントの変遷」の解説
期間第1日曜日第2日曜日第3日曜日第4日曜日第5日曜日2008.4.6 - 2010.4.4 友近 2010.4.11 - 2010.9.26 吉川美代子 江藤愛 外山惠理 竹内香苗 田中みな実 2010.10.3 - 2010.10.31 江藤愛 竹内香苗 2010.11.7 - 2012.9.30 江藤愛 竹内香苗 外山惠理 2012.10.7 - 2020.3.29 江藤愛 2020.4.5 - 2022.3.27 良原安美 2022.4.3-現在 山本恵里伽 友近以外のアシスタントは、担当の時点でTBSテレビのアナウンサー。 ^ アシスタント降板後もゲストとして出演することがある。 ^ 出演初回のみ第2日曜日を担当。また、2010年6月6日・同年6月20日は、吉川の都合により吉川と外山の担当週が入れ替わった。 ^ アシスタント降板後の2012年9月30日に「ここは赤坂応接間」(短縮版「ミニ応接間」)のゲストとして出演した。なお、この出演が竹内はTBSアナウンサーとして最後の生出演となった。 ^ 当時第5日曜日のレギュラーアシスタントの設定はなく、代理アシスタントとしての扱いで2010年5月30日と同年8月29日の2回のみ担当。現在第5日曜担当をしている外山とは異なり、「次の出演は未定」とされていた。 ^ 2010年9月にいったん降板し、2011年1月に再登板している。
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