アイヌ民族との関わりとは? わかりやすく解説

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アイヌ民族との関わり

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 19:08 UTC 版)

横山孝雄」の記事における「アイヌ民族との関わり」の解説

1974年南米旅行リマ滞在していたとき、アイヌ民族アト゚イ (豊岡征則)と出会い少数民族存在問題意識するようになった。その年の9月赤塚不二夫阿寒湖に連れて行きアト゚イ会わせている。しだいにアイヌ知己増え1977年アイヌ青年参政協議会から参議院議員として立候補した秋辺得平選挙活動応援するまでになった翌年の秋、秋辺が所属するヤイユーカラ・アイヌ民族学会に同行しアメリカとカナダ少数民族への親善訪問を行う。その訪問団の中にいた知里むつみと知り合い1979年1月末に結婚した1982年フジオ・プロからの独立後に、ノンフィクションの『少数民族の旅へ』(新潮社)、『アイヌって知ってる?』(蝸牛社)などの自らのイラスト織り交ぜたアイヌについて啓発書発刊する。 また、義父知里高央の遺稿から取捨選択したアイヌ語語彙に自らのイラスト組み合わせたアイヌ語イラスト辞典』(蝸牛社、1987年)や、妻のむつみと共著の『アイヌ語イラスト会話辞典』(蝸牛社、1988年)などのアイヌ語参考書発刊している。 その後、妻とともに北海道登別市移住し知里幸恵記念設立運動関わりながら、アイヌ民族民話題材にした漫画(『イ シカリ 神うねる河』(汐文社)の2巻本や、アイヌ神謡題材にした絵本発表している。 アイヌ民族運動家・貝澤藤蔵について、最初評伝記事を『近代日本社会運動人物事典』(1997年)に執筆したのも横山孝雄である。

※この「アイヌ民族との関わり」の解説は、「横山孝雄」の解説の一部です。
「アイヌ民族との関わり」を含む「横山孝雄」の記事については、「横山孝雄」の概要を参照ください。

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