アイヌ民族との関わり
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1974年に南米旅行でリマに滞在していたとき、アイヌ民族のアト゚イ (豊岡征則)と出会い、少数民族の存在と問題を意識するようになった。その年の9月に赤塚不二夫を阿寒湖畔に連れて行きアト゚イと会わせている。しだいにアイヌに知己が増え、1977年にアイヌ青年参政協議会から参議院議員として立候補した秋辺得平の選挙活動を応援するまでになった。 翌年の秋、秋辺が所属するヤイユーカラ・アイヌ民族学会に同行し、アメリカとカナダの少数民族への親善訪問を行う。その訪問団の中にいた知里むつみと知り合い、1979年1月末に結婚した。1982年、フジオ・プロからの独立後に、ノンフィクションの『少数民族の旅へ』(新潮社)、『アイヌって知ってる?』(蝸牛社)などの自らのイラストを織り交ぜた、アイヌについて啓発書を発刊する。 また、義父、知里高央の遺稿から取捨選択したアイヌ語の語彙に自らのイラストを組み合わせた『アイヌ語イラスト辞典』(蝸牛社、1987年)や、妻のむつみと共著の『アイヌ語イラスト会話辞典』(蝸牛社、1988年)などのアイヌ語の参考書も発刊している。 その後、妻とともに北海道登別市に移住し、知里幸恵記念館設立運動に関わりながら、アイヌ民族や民話を題材にした漫画(『イ シカリ 神うねる河』(汐文社)の2巻本や、アイヌの神謡を題材にした絵本を発表している。 アイヌ民族運動家・貝澤藤蔵について、最初の評伝的記事を『近代日本社会運動史人物大事典』(1997年)に執筆したのも横山孝雄である。
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