その他のコンピュータ開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/08 02:13 UTC 版)
「モーリス・ウィルクス」の記事における「その他のコンピュータ開発」の解説
1951年、高速なROM上の小型で高度に特殊化されたコンピュータプログラムを使って、コンピュータの中央処理装置を制御するという考え方を発展させ、マイクロプログラム方式の概念を生み出した。この概念はCPU開発を大いに単純化することとなる。マイクロプログラム方式は1951年のマンチェスター大学でのコンピュータ会議で初めて公開され、1955年のIEEE Spectrum誌(学会誌)でさらに発展した形で掲載された。この考え方を実装したのが EDSAC 2 であり、そこには設計を単純化するための「ビットスライス」方式も採用されていた。プロセッサをビット単位に交換/置換可能な真空管回路ユニットで構成したのである。当時としてはこれは非常に先進的であった。 研究所の次のコンピュータは、フェランティ社との共同開発のTitanである。それはイギリスで初めてタイムシェアリングシステムをサポートしたコンピュータであり、ケンブリッジ大学内ではさらに広範囲に計算資源にアクセスできるようになった。その中には機械CADのためのタイムシェアリング式グラフィックスシステムも含まれる。Titan のオペレーティングシステムの特筆すべき設計上の特徴は、アクセス制御が従来はユーザー毎だったものを、プログラム毎にしたことである。また後にUNIXが導入したパスワードの暗号化も導入している。プログラミングシステムには初期のバージョン管理システムが導入されている。さらにシンボルによるラベル、マクロ、サブルーチンライブラリといった概念も生み出した。これらはプログラミングを容易にする基本的な開発であり、高級言語へ続く道を示したものと言える。 後に初期のタイムシェアリングシステム(現在ではマルチユーザー・オペレーティングシステムと呼ばれる)や分散コンピューティングなどについても研究開発している。1960年代の終わりごろまで、権限ベースの情報処理(セキュリティを高める方式のひとつ)にも興味を持ち、研究所では特殊なコンピュータ Cambridge CAP を設置した。
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