すぎはらちうねとは? わかりやすく解説

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杉原千畝

読み方:すぎはらちうね
別名:センポ・スギハラ東洋のシンドラー日本のシンドラー

1900年生まれ日本の外交官。リトアニア日本領事館赴任していた第二次世界大戦当時、約6000人のユダヤ人難民の命を救ったことから、同じくユダヤ人救ったオスカー・シンドラーなぞらえ、「東洋のシンドラー日本のシンドラー)」としても知られている。

杉原千畝は、学生時代から特にロシア語堪能であり、1926年書き上げたソヴィエト聯邦國民經濟大觀」は外務省高く評価された。1933年にはソ連北満州鉄道譲渡交渉行い現在の価格で約4億円ともいわれる大幅な減額を行うことに成功した

1939年に、杉原千畝はリトアニアカウナス開設され日本領事館職員として赴任したナチス・ドイツによるユダヤ人迫害が強まると、日本領事館には多数ユダヤ人ビザ発給求めて訪れたが、当時日独伊三国同盟の締結直前ということもあり、本国杉原に対してユダヤ人対すビザ発給厳格な条件設ける旨の訓令言い渡した。しかし、杉原人道的観点から、本国命令背いて独断ビザ発給行い多く難民亡命させた。この時、杉原発行したビザは、「命のビザ」として言及されることもある。

戦後、杉原千畝は外務省依頼退職しその後不遇の半生過ごしたとする説もあるが、杉原に命を救われユダヤ人尽力もあり、戦中行ったビザ発給偉業として顧みられることとなった。杉原千畝は1985年に、日本人としては唯一、「諸国民の中の正義の人」に選ばれた。「諸国民の中の正義の人」は「ヤド・バシェム賞」ともいい、イスラエル最高裁判所判事によって、ナチス・ドイツのホロコーストの中で、自らの危険を顧みずユダヤ人を匿った人々与えられる称号である。また、2000年河野洋平外務大臣は、正式に杉原千畝の名誉回復行った

すぎはら‐ちうね【杉原千畝】



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