おう‐ばく〔ワウ‐〕【黄×檗/黄×蘗】
黄檗千呆
江戸前期の渡来禅僧。福建省生。千呆は道号、別号に曇瑞、法諱は性侒、姓は陳。雪峰崇聖寺の即非について出家、明暦3年即非と共に来日した。長崎崇福寺2代、のち黄檗山万福寺6代住持となる。また伏見深草石峰寺開山となる。宝永2年(1705)寂、70才。
黄檗大雄
黄檗惟一
黄檗慈光
宇治黄檗山万福寺五十五代管長。三重県生。名は通照、姓は加藤。玉田に就いて得度・嗣法。天龍寺にも掛錫。地蔵・観音・雲心・真光の各寺を歴住する傍ら宗務の要職を歴任。昭和48年(1973)寂、75才。
黄檗来鳳
江戸中・後期の黄檗宗の僧。道号は弥峰、法諱は円基、来鳳は号、別号に墨痴・山陽山人等。福済寺の大鵬正鯤に師事する。のち福済寺十三監寺に就任。大鵬に墨画を学び、墨竹画を能くした。文化14年(1817)寂、88才。
黄檗独吼
江戸前期の渡来禅僧。福建省福州生。独吼は道号、法諱は性獅、姓は朱。嘉福寺の雲澗弘について出家、のち黄檗隠元に参する。順治11年隠元と共に来朝、黄檗宗山城漢松院の開山となる。隠元寂後その法衣及び自賛の像を受ける。元禄元年(1688)寂、65才。
黄檗玉田
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