『Sports & News』時代(1988年4月 - 1994年3月)
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「NNNきょうの出来事」の記事における「『Sports & News』時代(1988年4月 - 1994年3月)」の解説
1988年4月から男性メインキャスターは、報道局外報部所属で テヘランに駐在し、イランイラク戦争の取材やニューヨーク特派員から転じた真山勇一に変わり(真山はこれ以前にも当番組「特派員レポート」でアメリカのNNNニューヨーク支局から出演していた)、同時に『スポーツニュース』を内包(当初は月-金曜で、1990年4月から土日も)。それに伴い放送時間を1時間と大幅延長(金曜は30分放送)して、『NNNきょうの出来事 Sports & News』( - スポーツ・アンド・ニュース)と改題。この形態は、1994年3月まで継続されたが、タイトルロゴの「Sports & News」の表記は1990年10月のタイトルロゴのデザイン変更時に削除。このリニューアルの2年半前に民放の最終版ニュースとしては初めて10時台に放送を開始したテレビ朝日の『ニュースステーション』から始まった「夜のニュース戦争」の影響とも言える。これに伴い、新聞のテレビ欄表記は『出来事・スポーツ&[N]』となった。 これに伴いスポーツニュースの内容を拡充、プロ野球全試合詳細速報や各種スポーツニュース、特に日本テレビ系列が力を入れるスポーツイベントの特集企画も行えるようになった。 真山は1990年3月に降板。それ以降は、櫻井が単独でメインキャスターを担当することになり、新聞のテレビ欄には、『桜井良子の[N]出来事』とタイトルが記載されるようになった。また、1989年4月からフジテレビの月-金曜最終版ニュースのメインキャスターに木村太郎が登用されたことや、同年10月からTBSで『筑紫哲也 NEWS23』がスタートされたこともあり、どちらかというとジャーナリズムに突出した内容に変わっていった。 真山退任後は櫻井一人で立ってニュースを伝えていたが、1991年10月に、報道センターから専用スタジオセットに移り、座ってニュースを伝えるスタイルに戻ると同時に、保坂昌宏(当時アナウンサー)が櫻井のパートナー役として加入した。天気予報担当の片平夏貴(フリーアナウンサー)に。1993年4月に、藪本雅子(当時アナウンサー)が加入。 この時期のスクープ報道として、1988年9月19日の深夜に昭和天皇の主治医であった高木顕侍医長が皇居に向かった事を報じた。これはたまたま夜回り取材として侍医長の自宅に向かった記者が皇居方面に向かう侍医長の車とすれ違ったことに起因する。一報の約3時間半後、宮内庁が昭和天皇の吐血を伝えた。 Sports & News時代の月 - 木曜版最後の放送となった1994年3月31日は、日本テレビ系列とフジテレビ系列のクロスネット局であった鹿児島テレビがNNNのニュースをネットする最後の放送でもあった。その当日、櫻井がその趣旨をアナウンスしていた。
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