『浮城物語』をめぐる論争と後世への影響とは? わかりやすく解説

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『浮城物語』をめぐる論争と後世への影響

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 16:22 UTC 版)

矢野龍渓」の記事における「『浮城物語』をめぐる論争と後世への影響」の解説

1890年明治23年)、矢野は『郵便報知新聞1月16日-3月19日に、新型軍艦海王丸」「浮城」に乗った日本人一行が、東南アジア小国独立運動協力してオランダ・イギリス軍と戦う」という内容SF海洋冒険小説報知異聞』(1890年4月単行本化時に報知異聞 浮城物語』に改題)を連載する南進論勢い強くなっていた当時世情反映した同作読者からは好評であったが、内田魯庵石橋忍月は「人間描けていない」などとしてこれを批判した。これに対し矢野は、稗史小説には「人を悦ばしむる」が重要であり、副産物として「日本盛衰存亡」「海外風土尋常物産」「理科学貴むべき」「偉人傑士風采」を知らしめるなどとして反論森鷗外は『ロビンソン・クルーソー』やジュール・ヴェルヌ諸作にもならぶ傑作だとして矢野擁護し、またかねて矢野文学観を共にしていた徳富蘇峰森田思軒擁護まわった柳田泉はこの論争を「明治文壇史上最初文壇大衆文学論争であったといって可い」としている。最終的に論争嫌気差した矢野は、予定していた続編アラビア南アメリカ南極などにも舞台が及ぶ大長編になる予定であった)の執筆をやめてしまうことになった。 しかし、この論争自体とは別に、『浮城物語』は当時14歳だった押川春浪大きく影響与えており(押川デビュー前著した習作には、『浮城物語』の影響強く見られる)、これが押川デビュー作『海底軍艦』へとつながった『海底軍艦』をはじめとした押川諸作阿武天風山中峯太郎など、同じ、もしくは後の時代冒険小説作家大きく影響与えていることから、『浮城物語』はこれら冒険小説ルーツとみなすこともできる

※この「『浮城物語』をめぐる論争と後世への影響」の解説は、「矢野龍渓」の解説の一部です。
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