『浮城物語』をめぐる論争と後世への影響
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1890年(明治23年)、矢野は『郵便報知新聞』1月16日-3月19日に、新型軍艦「海王丸」「浮城」に乗った日本人一行が、東南アジアで小国の独立運動に協力してオランダ・イギリス軍と戦う」という内容のSF海洋冒険小説『報知異聞』(1890年4月単行本化時に『報知異聞 浮城物語』に改題)を連載する。南進論の勢いが強くなっていた当時の世情を反映した同作は読者からは好評であったが、内田魯庵、石橋忍月は「人間が描けていない」などとしてこれを批判した。これに対し矢野は、稗史小説には「人を悦ばしむる」が重要であり、副産物として「日本の盛衰存亡」「海外の風土、尋常、物産」「理科学の貴むべき」「偉人傑士の風采」を知らしめるなどとして反論。森鷗外は『ロビンソン・クルーソー』やジュール・ヴェルヌの諸作にもならぶ傑作だとして矢野を擁護し、またかねて矢野と文学観を共にしていた徳富蘇峰や森田思軒も擁護にまわった。柳田泉はこの論争を「明治文壇史上、最初の文壇対大衆文学の論争であったといって可い」としている。最終的に論争に嫌気が差した矢野は、予定していた続編(アラビア、南アメリカ、南極などにも舞台が及ぶ大長編になる予定であった)の執筆をやめてしまうことになった。 しかし、この論争自体とは別に、『浮城物語』は当時14歳だった押川春浪に大きく影響を与えており(押川がデビュー前に著した習作には、『浮城物語』の影響が強く見られる)、これが押川のデビュー作『海底軍艦』へとつながった。『海底軍艦』をはじめとした押川の諸作は阿武天風や山中峯太郎など、同じ、もしくは後の時代の冒険小説作家に大きく影響を与えていることから、『浮城物語』はこれら冒険小説のルーツとみなすこともできる。
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