『水俣の図・物語』
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「海へ (武満徹)」の記事における「『水俣の図・物語』」の解説
武満が制作に参加した映画『水俣の図・物語』は、水俣病を追い続けた土本典昭の監督作品であり、丸木位里・丸木俊夫妻による縦3メートル横15メートルの絵画『水俣の図』の制作過程(1980年2月に完成)および、丸木夫妻と水俣の人々との交流が描かれている。 土本と武満は、羽仁進監督による1961年の映画『不良少年』にそれぞれ助監督、音楽担当として携わったことで知り合い、その後もいくつかの羽仁作品で共に仕事をしたことがある間柄であった。土本が武満に水俣を主題とした音楽の作曲を電話で依頼すると、武満は「いま海は病んでいる。海を汚した人間の傲慢さをいたむ曲を作曲したい」と即答した。 土本はこの映画において、完成した映像に合わせて音楽を付けるのではなく、武満が「水俣の海」から連想する音楽を独自に作曲し、完成した音楽を後から映像と合わせるという方法をとった。武満は、アルトフルート、ハープ、弦楽合奏による『海へ』の第1曲「夜」および、弦楽合奏による『ア・ウェイ・ア・ローン』を作り、この映画のために提供した。土本は、1980年12月1日までに武満が『海へ Toward the Sea』を完成させたと述べている。 実際には、『海へ』はオープニング部分および、映画後半における丸木夫妻と水俣病患者との交流を描いたシーンとエンディングで流れ、この映画のクライマックスである、約20分にわたって絵画「水俣の図」のクローズアップが流れ、石牟礼道子による自作の詩「原初よりことば知らざりき」の朗読が重なる場面では、『ア・ウェイ・ア・ローン』が使われている。 武満は「自然」と題する随想の中で次のように述べている。 核と、この自然環境破壊の問題は、今日もっとも真剣にとり組まなければならない問題だろう。(略)作曲家として私も、昨年、土本典昭監督の映画『水俣の図・物語』の製作に参加した。音楽というものはきわめて抽象的なものであって、音そのものでは何ひとつ具体的なメッセージを伝えることはできない。いつもそのもどかしさを感じながら、だが音楽だけが可能な感動表現というものを信じて、私は『海へ』という曲を書いた。それは、ヘドロの汚染で死んだ海の再生を祈念するものである。 映画『水俣の図・物語』は1981年2月19日に公開された。この映画での演奏は田中信昭の指揮による東京コンサーツが担当している。なお、武満自身は音楽を「ちょっと明るく書きすぎた」と感じていたが、観客からは、音楽が重すぎる、暗すぎるなどの否定的な意見も寄せられた。
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