『水俣の図・物語』とは? わかりやすく解説

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『水俣の図・物語』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 23:58 UTC 版)

海へ (武満徹)」の記事における「『水俣の図・物語』」の解説

武満制作参加した映画『水俣の図・物語』は、水俣病追い続けた土本典昭監督作品であり、丸木位里丸木俊夫妻による縦3メートル15メートル絵画水俣の図』の制作過程1980年2月完成)および、丸木夫妻水俣人々との交流描かれている。 土本武満は、羽仁進監督による1961年の映画不良少年』にそれぞれ助監督音楽担当として携わったことで知り合いその後いくつかの羽仁作品で共に仕事したことがある間柄であった土本武満水俣主題とした音楽作曲電話依頼すると、武満は「いま海は病んでいる。海を汚した人間傲慢さをいたむ曲を作曲したい」と即答した土本はこの映画において完成した映像合わせて音楽付けるのではなく武満が「水俣の海」から連想する音楽独自に作曲し完成した音楽を後から映像合わせるという方法をとった。武満は、アルトフルートハープ弦楽合奏による『海へ』の第1曲「夜」および、弦楽合奏による『ア・ウェイ・ア・ローン』を作り、この映画のために提供した土本は、1980年12月1日までに武満が『海へ Toward the Sea』を完成させたと述べている。 実際には、『海へ』オープニング部分および、映画後半における丸木夫妻水俣病患者との交流描いたシーンエンディング流れ、この映画クライマックスである、約20分にわたって絵画水俣の図」のクローズアップ流れ石牟礼道子による自作の詩「原初よりことば知らざりき」の朗読重な場面では、『ア・ウェイ・ア・ローン』が使われている。 武満は「自然」と題する随想の中で次のように述べている。 と、この自然環境破壊問題は、今日もっとも真剣にとり組まなけれならない問題だろう。(略)作曲家として私も、昨年土本典昭監督映画『水俣の図・物語』の製作に参加した音楽というものはきわめて抽象的なものであって、音そのものでは何ひとつ具体的なメッセージ伝えることはできない。いつもそのもどかしさ感じながら、だが音楽だけが可能な感動表現というものを信じて、私は『海へ』という曲を書いた。それは、ヘドロ汚染死んだ海の再生祈念するのである映画『水俣の図・物語』は1981年2月19日公開された。この映画での演奏田中信昭指揮による東京コンサーツが担当している。なお、武満自身音楽を「ちょっと明るく書きすぎた」と感じていたが、観客からは、音楽が重すぎる、暗すぎるなどの否定的な意見寄せられた。

※この「『水俣の図・物語』」の解説は、「海へ (武満徹)」の解説の一部です。
「『水俣の図・物語』」を含む「海へ (武満徹)」の記事については、「海へ (武満徹)」の概要を参照ください。

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