『女神』から『チャルラータ』まで
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「サタジット・レイ」の記事における「『女神』から『チャルラータ』まで」の解説
1960年、サタジットはイギリス領インド帝国時代のヒンドゥー教社会における宗教的迷信を題材にした『女神(英語版)』を発表した。その粗筋はシャルミラ・タゴール(英語版)演じる若妻が、義父によって女神カーリーに祭り上げられてしまうというものである。サタジットは中央映画認証委員会による差し止めや再編集の指示を恐れたが、無事上映された。しかし、ヒンドゥー教側からは攻撃され、そのために国外に輸出することを禁じられた。その後、作品を見たインド首相のジャワハルラール・ネルーの計らいで禁が解かれ、第15回カンヌ国際映画祭に出品された。翌1961年にはネルーの依頼で、タゴールの生誕100年を記念したドキュメンタリー映画『詩聖タゴール(英語版)』を撮影した。しかし、タゴールを撮影した映像は限られていたため、サタジットは静止画から映画を作る手法を取らざるをえず、普通の長編映画3本分と同じぐらいの労力がかかったという。また、同年にサタジットは敬意を込めてタゴールに捧げるために、タゴールの短編小説3本を原作にしたアンソロジー映画『三人の娘(英語版)』を撮影した。 同年、サタジットは詩人のスバーシ・ムコーパデャイ(英語版)らと、かつて祖父が出版し、それを引き継いだ父の死によって途絶えていた子供向け雑誌『ションデシュ』を再刊行した。このためにサタジットは何年もかけて資金を蓄えていた。サタジットはその雑誌のためにイラストを描き、小説や詩を書き始めたが、やがて執筆業はサタジットにとって主な収入源となった。一方の映画監督業でもシナリオの執筆に変化があった。それまでのすべての作品は原作ものだったが、1962年公開の『カンチェンジュンガ(英語版)』で初めてオリジナル脚本を使用した。この作品は西ベンガルの丘の町ダージリンで午後を過ごす上流階級の家族を描いた作品で、サタジットにとって初のカラー映画にもなった。 その次にサタジットは『遠征(英語版)』(1962年)を撮影し、そのあとにカルカッタの中流家庭の夫婦関係を題材にした『ビッグ・シティ(英語版)』(1963年)と『チャルラータ』(1964年)を撮影した。『ビッグ・シティ』は夫の収入を助けるために仕事を始める女性がさまざまなトラブルに悩む姿を描き、『チャルラータ』はタゴールの短編小説『壊れた巣(英語版)』を原作に、19世紀ベンガルの孤独な妻チャルの義弟アマルへの恋心を描いた。この2本はサタジットの中期の代表作とされており、とくに『チャルラータ』は多くの批評家からサタジットの最も優れた作品と見なされ、サタジット自身もお気に入りの映画に挙げている。また、サタジットはこの2本で、ベルリン国際映画祭の銀熊賞(監督賞)を2年連続で受賞した。
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