『女神』から『チャルラータ』までとは? わかりやすく解説

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『女神』から『チャルラータ』まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 02:52 UTC 版)

サタジット・レイ」の記事における「『女神』から『チャルラータ』まで」の解説

1960年サタジットイギリス領インド帝国時代ヒンドゥー教社会における宗教的迷信題材にした『女神英語版)』を発表した。その粗筋はシャルミラ・タゴール(英語版演じ若妻が、義父によって女神カーリー祭り上げられてしまうというものであるサタジット中央映画認証委員会による差し止め再編集指示恐れたが、無事上映された。しかし、ヒンドゥー教側から攻撃され、そのために国外輸出することを禁じられた。その後作品見たインド首相ジャワハルラール・ネルー計らいで禁が解かれ第15回カンヌ国際映画祭出品された。翌1961年にはネルー依頼で、タゴール生誕100年記念したドキュメンタリー映画詩聖タゴール英語版)』を撮影した。しかし、タゴール撮影した映像限られていたため、サタジット静止画から映画作る手法を取らざるをえず、普通の長編映画3本分と同じぐらいの労力かかったという。また、同年サタジット敬意込めてタゴール捧げるために、タゴール短編小説3本原作にしたアンソロジー映画三人の娘(英語版)』を撮影した同年サタジット詩人のスバーシ・ムコーパデャイ(英語版)らと、かつて祖父出版し、それを引き継いだ父の死によって途絶えていた子供向け雑誌『ションデシュ』を再刊行した。このためサタジット何年もかけて資金蓄えていた。サタジットはその雑誌のためにイラスト描き小説や詩を書き始めたが、やがて執筆業サタジットにとって主な収入源となった一方映画監督業でもシナリオ執筆変化があった。それまですべての作品原作のだったが、1962年公開の『カンチェンジュンガ英語版)』で初めオリジナル脚本使用した。この作品西ベンガルの丘の町ダージリン午後を過ごす上流階級家族描いた作品で、サタジットにとって初のカラー映画にもなった。 その次にサタジットは『遠征英語版)』(1962年)を撮影しそのあとカルカッタ中流家庭夫婦関係題材にした『ビッグ・シティ英語版)』(1963年)と『チャルラータ』(1964年)を撮影した。『ビッグ・シティ』は夫の収入助けるために仕事始め女性さまざまなトラブルに悩む姿を描き、『チャルラータ』はタゴール短編小説壊れた巣(英語版)』を原作に、19世紀ベンガル孤独なチャル義弟アマルへの恋心描いた。この2本はサタジット中期代表作とされており、とくに『チャルラータ』は多く批評家からサタジットの最も優れた作品と見なされ、サタジット自身お気に入り映画挙げている。また、サタジットはこの2本で、ベルリン国際映画祭銀熊賞(監督賞)2年連続受賞した

※この「『女神』から『チャルラータ』まで」の解説は、「サタジット・レイ」の解説の一部です。
「『女神』から『チャルラータ』まで」を含む「サタジット・レイ」の記事については、「サタジット・レイ」の概要を参照ください。

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