『古文書学』刊行の意義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 14:59 UTC 版)
「ジャン・マビヨン」の記事における「『古文書学』刊行の意義」の解説
17世紀以前のヨーロッパには古文書の真贋を判断する方法は確立されていなかった。ところが、三十年戦争の結果領域の大幅な変更が行われ、諸国家や都市、修道院の間で主権や領域を巡る紛争が多発するようになった。ところが、紛争の際に当事者双方が証拠として持ち出した古文書の中には不正確な内容の写本や偽文書などが少なからず含まれており、中には比較的最近になって作成されたものを由緒ある歴史的文書に見せかけたものまで現れた。そのため、どの文書が本物でどの文書が偽物なのかを正確に判定する技術が求められるようになった。 この課題に本格的に挑戦した最初の人物は、マビヨンとほぼ同時代のイエズス会の修道士であったダニエル・ハーペンブレック(fr)であった。1675年、彼はイエズス会で編纂されていた『聖人伝』の中において「古文書序説」という章を設けて、古文書の真贋判定の必要性を唱えてそのヒントになると思われる原則をいくつか提唱した。ところが、その中で彼は現在伝えられている6世紀の文書は国王文書や教皇大勅書も含めて全て偽物で古ければ古いほど偽物である可能性が高いと論じた。これは文書を記した物の材質や保存環境などの条件を全く無視した理論であり、設立が比較的新しく経緯が明らかな文書を多く保持していたイエズス会には有利に働き、反対にベネディクト会に代表される歴史的に由緒ある修道会には不利であった。特にベネディクト会が保持していたフランク王国以来の権利文書は全て中世の同会によるでっち上げと一方的に断定されたことは、同会に衝撃と反発をもたらした。1677年、ベネディクト会は『聖ベネディクト修道会聖人伝』の著者として多くの古文書に接してきたマビヨンに対して、ハーペンブレックに対する反論をするように求めた。マビヨン自身も自分が身近に接してきたサン=ドニ大聖堂やサン・ジェルマン・デ・プレ修道院の古文書を十分な調査も無く偽文書と断定されたことに反発していたためにこれを引き受けた。彼はベネティクト会が保存する古文書のみならず、フランス中の古文書を出来る限り調査を行った。4年間の調査の末、彼は古文書の真贋判定に関する諸理論をまとめた本をコルベールに献呈し、続いて刊行に踏み切った。それが『古文書学』であった。 まず、彼は文書の作成年代と文書の真偽は全く関係なく、古い時代の文書(それが本物であっても偽物であっても)も文書を書いた紙の素材や保存条件によっては今日まで伝わり得ることを指摘した。その上で真偽を確かめる方法として書式や文面などが当時の文書のそれに適ったものであるか否かという文書が持つ内的性格の調査が欠かせない事を指摘し、ハーペンブレックの判断に対してその誤謬を指摘して、彼が偽文書として文書が真正の文書であるとする証拠を提示した。『古文書学』の刊行は、科学的な根拠に基づいた古文書学の確立を意味するものとなった。
※この「『古文書学』刊行の意義」の解説は、「ジャン・マビヨン」の解説の一部です。
「『古文書学』刊行の意義」を含む「ジャン・マビヨン」の記事については、「ジャン・マビヨン」の概要を参照ください。
- 『古文書学』刊行の意義のページへのリンク