『古史伝』に関する平田篤胤の思い
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「古史伝」の記事における「『古史伝』に関する平田篤胤の思い」の解説
篤胤の学問の良き理解者で畏友でもあった考証学者の伴信友は、篤胤の唱道する『古史伝』は「至道」「真道」の誠と同じ意と解釈した[要出典](後に互いの意見や見解の相違により二人は袖を分かつ事となる)。 篤胤は鈴の屋門下の死後の門人で、師宣長の謦咳に接する機会はなかったが、俊英な弟子の一人服部中庸が数ある門弟の中から篤胤の人柄を見込んで、宣長の息吹とも云える古道の継承を三顧の礼を尽くして念願し、師宣長の志と古道の学の要となるものを篤胤に送受した事により、篤胤は後に『霊能真柱』並びに古史三部作として『古史伝』を書き表し、宣長や中庸の遺志を結実させる事となった。 篤胤は古道の学の典拠を、『皇極紀』の文章の中から引用し、また「儒教や佛教が御国に渡来する以前の純粋無垢な当時の祖先達」が子孫に伝承した道の言葉を手がかりにして、古の言葉と古の意を以て神代の物語を正しく読み解くことにより、天地開闢から始まる上代の出来事の中に元来備わっている、真の道の伝えを知る事が出来るものである、と唱道した。 「我が唱道する古史を学ばんとする者は 古(いにしえ)を慕ひ 古に憧れ 理想としての古代を仰望する 古を知るといふことは 古語の解釈に基づかざるを得ない 国学の発達は古語の解釈にはじまる 古語通ぜざれば 古義明らかならず 古義明らかならざれば 古学復せず[要出典]」と篤胤は述べている。
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