「OSCRO」、「AIM」との対立
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「ディック・ウィルソン (オグララ族)」の記事における「「OSCRO」、「AIM」との対立」の解説
1973年2月、エレン・ムーブス・キャンプやグラディス・ビソネットらスー族女性が中心となり、長老、酋長、呪い師による会議を経て、オグララ族は対ウィルソン弾劾組織「オグララ・スー権利組織」(Oglala Sioux Civil Rights Organization=OSCRO)を結成した。委員長にはグラディス・ビソネットの息子であるペドロ・ビソネット青年が選ばれた。OSCROはウィルソンを弾劾し、賛同者を増やし、ウィルソンによる腐敗政治が暴かれていった。OSCROは議会にウィルソンの辞職勧告を迫ろうとしたが、グーンズによる脅迫とテロによって部族民からの署名は集められなかった。 1973年2月9日、デビッド・ロング、バージル・キルズストレート、ホバート・キースら、ウィルソンに解任された議会メンバー4人は部族会議で、OSCROが集めた証拠による、身内の職員雇用、予算会議の無視、部族財産の個人流用2件、会計監査報告書の改竄、議会による呼び出しの無視、住宅局を無視した経営委員会運営、不当逮捕の8件の告発を行い、公聴会を求めた。部族会議は11対7の投票で決定延期とした。告発に必要な票は総数の2/3で、1票足りなかった。 1973年2月22日、公聴会が始まり、ヴィンセント・サンダーブルの弾劾委員長就任が満場一致で決定した。弾劾手続きは翌日始まった。ウィルソンは議長権限を振りかざして公聴会を延期させ、サンダーブルもこれを認めた。訴追者側が退席した後、議会は14対0の票決で弾劾公聴会を終わらせた。 AIMの動きに対し、ウィルソンは部族会議の建物を、レッドネックを多数加え、重武装させたグーンズに護衛させた。また、アメリカ連邦政府に連邦憲兵隊の出動を要請し、これに応えて州警察やFBIも、マシンガンやロケット砲を備えた戦車や特殊車両を30台用意して援助し、BIA事務所、学校、郵便局などに武装した兵を配置した。 1973年2月27日、スー族の長老と酋長たちはOSCROとともに、多数の部族を交えたAIMメンバーを招いて再び対ウィルソンの大会議を開いた。スー族の女たちは決死の覚悟を伝え、男たちも呼応した。彼らは83年前に合衆国によってスー族が大虐殺された「チャンクペ・オピ」(ウーンデッド・ニー)で戦いの狼煙を上げることを決定した。彼らは聖なるパイプを回し飲みして「大いなる神秘」に誓いを立てた。夕刻、会議場の外の600人のスー族に、ラッセル・ミーンズはこう宣言した。 「我々は合議の結果、ポーキュパイン村で大集会を開くと決定した。みなさんもどうぞご同行ください。」
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