「皇」と「帝」と「王」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 03:16 UTC 版)
「皇」という漢字は、「自」(はじめ)と「王」の合字であり、伝説的な人類最初の王を意味している。中国の伝説で最初に中国(したがって天下)を支配したのは、三皇であるとされている。 その次に続くとされたのが、堯・舜などを含む五帝であるとされている。「帝」という漢字は、元来、3本の線を中央で束ねるという意味(現代ではこの意味で用いる時は、糸偏をつけた「締」と表記する)だが、宇宙の全てを束ねる至上神という意味で殷代に用いられるようになった。三皇と五帝は神格化された存在であると同時に、現世の支配者であると考えられていた。殷王は、祖先や山河などを神として崇めていたが、より上位の神を崇めることが生まれ、「帝」あるいは「上帝」と呼んだ。殷末期の王に対しては帝乙や帝辛(紂王)など帝の字が用いられるようになった。 五帝のあとに続くのが「王」が支配する夏・殷・周の王朝であった。 周王は地上世界(すなわち天下)を治めるべく天命を受けた天子とされた。周の封建制の下で諸侯は領地(国)を治め、最高位の爵位は「公」が与えられた。しかし、周王朝が衰えると、南方の楚が、自国の君主の称号として「王」を使うようになり、戦国時代に入ると、他のかつて周王朝に従っていた諸侯も「王」の称号を使うようになったとされる。しかし金文史料では西周時代から夨王・豊王・豳王など、周王以外にも王を称する存在があったことが確認されている。 紀元前323年には周王が天子であると宣言され、他の王に優越する存在であると確認され、実質的な最有力者であった斉の威王は「覇王」を称した。紀元前288年には秦の昭襄王が斉の湣王に対し、他の王を従えていることから互いに「帝」と称するよう呼びかけ、一時的に「帝」が使用されることもあった。 @media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}「王」以前の君主の称号として、「后」というものがあったということが考古学的発見や文献学的研究からわかっている。王が君主号として用いられて以降は、后は君主に準ずる存在に対する称号となった。君主の妃や母親は君主に準ずる存在とみなされ、「皇后」は皇帝の妃、「皇太后」は皇帝の母親を意味することとなり、「后」は原義を離れて「きさき」の意味で固定化された[要出典]。
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