「皆実村」から「皆実町」へとは? わかりやすく解説

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「皆実村」から「皆実町」へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 01:14 UTC 版)

皆実町 (広島市)」の記事における「「皆実村」から「皆実町」へ」の解説

皆実新開明治維新後の廃藩置県経て皆実」となり、広島市制の施行1889年に伴い「(大字皆実」、ついで大正期1916年になって皆実町」に改称された。この間、この地域大きな変貌を遂げることになった皆実新開造成以来、この地区広島湾南面していたが、1884年至って南に宇品港(現・広島港)の築港および宇品新開(現・南区宇品)の造成が行われることになり、広島市街と築港新開地を結ぶ宇品新道村内縦断する形で建設されのである完成後の宇品港日清戦争開始により軍港として整備されると、比治山南側には多く陸軍施設立地されるようになり、村内(現・皆実町1丁目)にも電信第二連隊駐屯した。さらに1910年には広島ガス本社および工場1922年には専売局煙草製造工場それぞれ現在の皆実町1丁目・2丁目移転立地し、特に前者施設であるガスタンク現在に至るまでこの地区ランドマーク存在となっている。産業面の変化においては明治初期主要な産物棉花であったが、明治20年代の外綿輸入により衰退向かい、代わって明治中期から大正初期までレンコン栽培拡大し蓮田はこの地区代表的景観となった1933年昭和8年になってこの地区では町名変更実施され町域東部分が出汐町および旭町南部翠町として分立した。第二次世界大戦開始されると、軍事輸送強化のため宇品通り沿って広島電鉄皆実線敷設されたが、1945年8月6日原爆投下は、爆心地から約1.7〜2.5kmにあったこの町にも大きな被害及ぼし、特に2km圏内入っていた京橋川沿いの地域全壊全焼ないし全壊地域となり、その他の地域半壊地域となった被爆時の熱線により広島ガス工場ガスタンク付着した階段やバルブホイールの陰影戦後原爆十景一つ選ばれている(現存しない)。

※この「「皆実村」から「皆実町」へ」の解説は、「皆実町 (広島市)」の解説の一部です。
「「皆実村」から「皆実町」へ」を含む「皆実町 (広島市)」の記事については、「皆実町 (広島市)」の概要を参照ください。

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