「日本美術史」の始まりとは? わかりやすく解説

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「日本美術史」の始まり

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 06:21 UTC 版)

日本美術史」の記事における「「日本美術史」の始まり」の解説

美術」という用語は、1873年明治6年)、日本政府ウィーン万国博覧会参加するに当たり、出品分類についてドイツ語Kunstgewerbe および Bildende Kunst訳語として「美術」を採用したのが初出とされる山本五郎意匠説』:全文近代デジタルライブラリ所収)。すなわち「墺国維納博覧会出品心得」の第二ケ条(展覧会品ハ左ノ二十六類ニ別ツ)第二十二区に「美術西洋ニテ音楽画学、像ヲ作ル術、詩学等ヲ美術ト云フ)(後略)」と記される。あるいは西周(啓蒙家)1872年1878年説もあり)『美妙学説』で英語のファインアートfine arts)の訳語として採用した(「哲学一種美妙学ト云アリ、是所謂美術(ハインアート)ト相通シテ後略)」とある) もっとも、この当時の「美術」には詩や音楽など含まれ現代日本語の「芸術」に近い語義であった。「美術」という単語自体明治時代案出訳語であり、西洋概念日本当てはめたものであった以上、「日本美術」あるいは「日本美術史」という概念それ以前時代には存在しなかった。「美術館」「美術家」「美術史」などの語も当然明治時代以降使用されるようになったのである。「美術館」という名称は1877年明治10年)に東京上野開催され第1回内国勧業博覧会陳列館の名称として使用されたのが初出である。1889年明治22年)に開校した東京美術学校(現・東京芸術大学美術学部)では「美学及び美術史」が開講されこの頃から「美術史」の語は現代同様の意味で使用されている。1900年明治33年)には日本初美術史本と目される稿本日本帝国美術略史』が刊行された(近代デジタルライブラリー全文あり)。

※この「「日本美術史」の始まり」の解説は、「日本美術史」の解説の一部です。
「「日本美術史」の始まり」を含む「日本美術史」の記事については、「日本美術史」の概要を参照ください。

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