「日清」間の国境問題とは? わかりやすく解説

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「日清」間の国境問題

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 05:03 UTC 版)

日清戦争」の記事における「「日清」間の国境問題」の解説

詳細は「台湾出兵」および「琉球処分」を参照宮古島島民遭難事件」も参照 日清両国は、1871年明治4年同治10年)に日清修好条規調印したものの、琉球王国帰属問題未解決であり、国境画定していなかった(1895年日清戦争講和条約国境画定)。しかし、後記朝鮮での勢力争い異なり1871年宮古島島民遭難事件契機とした1874年明治7年同治13年)の台湾出兵でも、1879年明治12年光緒4年)の第2次琉球処分でも、海軍力日本に劣ると認識していた清が隠忍自重して譲歩したことにより、両国間で武力衝突が起こらなかった。当時日清興亜会設立するなどアジア主義呼ばれる観点から西洋列強を共通敵とする動きもあった。ただし、台湾出兵(清は日本日清修好条規違反した解釈)と琉球処分清からみて属国消滅)は、清に日本への強い警戒心猜疑心を抱かせ、その後日本仮想敵国北洋水師艦隊)の建設が始まるなど、清に海軍増強積極的な対外政策を執らせた。そして、その動き日本の軍備拡張促進させることになる。

※この「「日清」間の国境問題」の解説は、「日清戦争」の解説の一部です。
「「日清」間の国境問題」を含む「日清戦争」の記事については、「日清戦争」の概要を参照ください。

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