「憲法違反ノ法」
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1892年(明治25年)1月25日に予戒令が公布および施行される以前、この勅令案を枢密院で審議する段階において、伊東巳代治枢密院書記官長は予戒命令の効力である「適法な生業又は業務に従事すること(第2条第1号)」「集会の妨害行為を禁止させること(第2条第2号)」が、大日本帝国憲法第22条の定める居住及移転ノ自由、同法第27条第1項に由来する営業ノ自由、同法第29条の集会ノ自由の文言に抵触する可能性を指摘した。 これは、各法条にある「法律ノ範囲内ニ於テ」の「法律」の意味が、国民代表議会である帝国議会が制定した「法律」又は「その法律によって委任された命令」を意味し、予戒令は帝国憲法第9条の定める「勅令(独立命令)」である以上、行政機関の権限によって人民の権利義務を制約することは憲法違反である可能性が指摘されたためであった。しかしながら、予戒令が定める制限は「原案ノ骨子ナレハ之ヲ除去スルコトヲ得ス」として、伊東巳代治は勅令の成立に肯定的な意見を付託した。 また、内閣顧問として活躍したドイツ人のヘルマン・ロエスレルは、予戒令の審議における参考意見としての答議を残している。ロエスレルは、予戒令第2条各号の予戒命令の規定に関し、強制的に生業または職業に従事させることの適法性についての疑問を呈しながら、「公共並ニ国家ノ利益の為ニ…禁遏(きんあつ)スルヲ得ヘシ」と判断し、勅令制定の正当性を挙げた。 民党側も予戒令の各法条が帝国憲法に抵触しているという認識を持っており、第4回帝国議会に提出された「予戒令廃止ノ建議」では、予戒令第3条の予戒命令を受けた者の住居変更報告義務に関して、帝国憲法第22条の「居住及移転ノ自由」を軽んじる「憲法違反ノ法」であるとの批判を加え、予戒令の即時廃止を主張した。
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