「小熊和也」とは? わかりやすく解説

「小熊和也」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 00:26 UTC 版)

チェ・スンチョル」の記事における「「小熊和也」」の解説

1972年昭和47年7月チェ東京山谷地区福島県出身日本人小熊和也当時34歳)と知り合った小熊行き倒れに近い状態で病気かかっていたので、チェ小熊介抱するふりをして近づき、すぐに病院入院させた。入院して10日後、親切にされた小熊病院見舞い訪れたチェをすっかり信用したチェ自分船会社社長であると身分偽って小熊退院した自分会社採用する、それを受け入れてくれるな入院一切自分負担する持ち掛けた小熊和也はこれを了承した。さらにチェ翌日金錫とともに小熊実家に赴き、小熊両親には再び船会社社長であると詐称して戸籍福島だと何かと不便なので東京移してもらいたい頼んで両親転籍認めさせた。 その後チェは、小熊名義顔写真だけを自分の顔に貼り替え日本国旅券運転免許証取得して法的にも完全な日本人「小熊和也」として行動した。彼が死去する1976年7月までの間に、日本フランクフルトパリ香港ソウルコース3回海外渡航し韓国日本に跨るスパイ網の構築努めたのである1974年昭和49年5月チェ土台人金錫斗を石川県鳳至郡能都町から密出国させて北朝鮮に連れて行き、約6ヶ月スパイ教育を受けさせたうえで日本にもどし、資金調達新たな工作員獲得任務を担わせた。同年12月チェ戸籍横領発覚恐れて小熊和也本人北朝鮮へ拉致金錫斗に命じた金錫斗は、その機会うかがっていたが、小熊1976年昭和51年7月病死し死亡届出されたので、これを断念したチェは、在日韓国人接近して韓国内親戚はいないかと尋ね韓国内スパイ作ろうとしたり、日本国内では自衛隊在日アメリカ軍に関する情報収集活動を、「小熊和也」として行っていた。 なお、チェ・スンチョルこの間1975年発覚した鶴見寺尾事件において、逮捕され北朝鮮工作員に対しても、帰化在日朝鮮人商工獲得指示あたえていた。

※この「「小熊和也」」の解説は、「チェ・スンチョル」の解説の一部です。
「「小熊和也」」を含む「チェ・スンチョル」の記事については、「チェ・スンチョル」の概要を参照ください。

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