「小総統」
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1889年(光緒15年)に挙人、1894年(光緒20年)に甲午科進士となる。その後、翰林院編修に任命された。1903年(光緒29年)には北洋編書局総弁をつとめる。1904年(光緒30年)、唐紹儀に随従してインドに向かい、中英チベット条約を議定する。翌年に帰国し督弁鉄路総文案に就任した。1907年(光緒33年)、五路提調処提調兼交通銀行幇理に就任し、さらに鉄路総局局長に転任した。1911年(宣統3年)の武昌起義後に郵伝部副大臣(署理大臣)に就任した。 1912年(民国元年)3月、梁士詒は北京政府の総統府秘書長に就任し、同年5月、交通銀行総経理を兼任した。以後、周自斉・朱啓鈐らとともに、交通系と呼ばれる政治集団を形成する。1913年(民国2年)5月、署理財政部次長兼代理部務をつとめる。9月18日、袁世凱の指図を受けていた梁士詒は、国会で袁の御用政党である公民党を結成した。10月、軍・警察を動員して国会議場を包囲する中で、袁世凱を正式に大総統に選出させた。その権力行使の様から、梁士詒は「小総統」とあだ名されたという。1914年(民国3年)、税務処督弁に就任した。
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