「小豆餅」と「銭取」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/06 21:31 UTC 版)
三方原には「小豆餅」「銭取」という地名がある。これは三方ヶ原の戦いで敗れ浜松城へ引き上げる途中の家康が当地で小豆餅を食べたが、武田軍が迫ってきたため代金を払わず逃げた。これを店の老婆が追いかけ、家康から代金を取った、との言い伝えによる。小豆餅から銭取までは約2kmあり、老婆は騎乗の家康をそれだけ追っていったことになる。 ただしこの逸話は後世の付会で、実際には三方ヶ原の合戦での死者を弔うためこの地に小豆餅を供えたことが地名の由来である。また同様に、銭取はこの辺りに山賊がよく現れたことに由来する(山賊に銭を取られるため)。三方ヶ原の合戦があった時期、三方原台地に民家まして茶屋などは存在しなかったが、当時の家康の必死の逃亡をよく表現した伝説として、長く地元の人々に親しまれてきた。 小豆餅は一〜四丁目まである正式地名だが、小字だった銭取はバス停に名称を残すのみとなっている。 「小豆餅」「銭取」の名を冠した和菓子がある。しかし、小豆餅内に和菓子屋はない。 かつて三方原を北上していた遠鉄奥山線にも「銭取駅」「小豆餅駅」があった。廃線跡は生活道路やサイクリングロードとして、断片的に残っている。 なお「小豆餅」「銭取」は北区三方原地区ではなく、中区萩丘地区に属している。
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