「国民詩曲」依頼
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同年、日本放送協会 (JOAK) から須賀田のもとに初の作曲依頼が舞い込んだ。この年から始まった「国民詩曲」シリーズで、国威発揚を目指し「日本の民謡旋律を主題とすること」が条件となっていた。当時この「国民詩曲」シリーズの作曲依頼を受ける事は一流の作曲家として認められる事を意味しており、依頼を受けたのは須賀田以外に飯田信夫、池内友次郎、太田忠、大中寅二、清瀬保二、江文也、菅原明朗、杉山長谷夫、服部正、平尾貴四男、深井史郎、松平頼則、宮原禎次、山田和男、山本直忠、大木正夫といった面々で、音楽学校歴も無く兵役検査にも合格しなかった須賀田にとっては名誉な事であった。こうして生み出されたのが国民詩曲「東北と関東」作品五である。1939 (昭和14) 年12月7日午後8時、ラジオ「国民詩曲の夕」の中で、金子登指揮日本交響楽団により「東北と関東」は放送初演された。放送にあたり、須賀田は下記のような楽曲解説を寄せている。 昭和13年12月の作。民謡の内にある二ツの姿を書いた二部作。此二曲は現実生活の憂鬱な感情から開放される祭の雰圍気を描出したもので、何れも憂鬱な導入部から始まり、明朗諧謔的な感情へ展開される。第一部は、心に完全を描いて、其れが現実に對して皮相的とは言へ、神社の境内に於て素直に嬉しく踊る人々の様子を表現し、依ッて主題には「よされ節」を用ひ、東北的な感情を描出した曲。-----構成はロンド形式。第二部、此は前者に反し、物事に關して先ず現実的な直接行動に移す、元気な江戸ツ子気質な、關東的な感情を描出した曲。------構成はソナタ形式。 「東北と関東」スコアには須賀田自身により、初演記録が書き残されている。 昭和14年12月7日午後8時より、日本放送協会にて国民詩曲の夕として放送初演。指揮はそれぞれ作曲者がなす立て前であったが、大管弦楽の指揮未経験なるため、友人の金子登君に頼んだ。-- 金子君は指揮法の勉強中にて、日本交響楽団を指揮したき熱望にて、彼貳度目の棒を持った。従って残念乍ら不結果であった。昭和17年6月12日午後2時、日本放送協会より、海外向放送を行ふ。-- 指揮は協会より金子君を指定し、再度なるため充分説明をなし、依って前回よりやゝ良好であツた。旋律が浮いて来て、立体感が出て来た。
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