「国民詩曲」依頼とは? わかりやすく解説

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「国民詩曲」依頼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/24 05:13 UTC 版)

須賀田礒太郎」の記事における「「国民詩曲」依頼」の解説

同年日本放送協会 (JOAK) から須賀田のもとに初の作曲依頼舞い込んだこの年から始まった国民詩曲シリーズで、国威発揚目指し日本の民謡旋律主題とすること」が条件となっていた。当時この「国民詩曲シリーズ作曲依頼を受ける事は一流作曲家として認められる事を意味しており、依頼受けたのは須賀田以外に飯田信夫池内友次郎太田忠大中寅二清瀬保二江文也菅原明朗杉山長谷夫服部正平尾貴四男深井史郎松平頼則宮原禎次山田和男山本直忠大木正夫といった面々で、音楽学校歴も無く兵役検査にも合格しなかった須賀田にとっては名誉なであった。こうして生み出されたのが国民詩曲東北関東作品五である。1939 (昭和14) 年12月7日午後8時、ラジオ国民詩曲の夕」の中で、金子登指揮日本交響楽団により「東北関東」は放送初演された。放送にあたり須賀田は下記のような楽曲解説寄せている。 昭和13年12月の作。民謡の内にある二ツの姿を書いた二部作。此二曲現実生活の憂鬱な感情から開放される祭の雰圍気描出したもので、何れも憂鬱な導入部から始まり明朗諧謔的感情展開される第一部は、心に完全を描いて其れ現実に對して皮相的とは言へ、神社境内に於て素直に嬉しく踊る人々様子表現し、依ッて主題には「よされ節」を用ひ東北的な感情描出した曲。-----構成ロンド形式第二部此は前者反し物事に關して先ず現実的な直接行動に移す、元気な江戸ツ子気質な、關東的な感情描出した曲。------構成ソナタ形式。 「東北関東スコアには須賀自身により、初演記録書き残されている。 昭和14年12月7日午後8時より、日本放送協会にて国民詩曲の夕として放送初演指揮それぞれ作曲者がなす立て前であったが、大管弦楽指揮未経験なるため、友人金子登君に頼んだ。-- 金子君は指揮法勉強中にて、日本交響楽団指揮した熱望にて、彼貳度目の棒を持った。従って残念乍ら不結果であった昭和17年6月12日午後2時、日本放送協会より、海外放送を行ふ。-- 指揮協会より金子君指定し再度なるため充分説明をなし、依って前回よりやゝ良好であツた。旋律浮いて来て立体感出て来た。

※この「「国民詩曲」依頼」の解説は、「須賀田礒太郎」の解説の一部です。
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