「別格のミスター・タイガース」
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「藤村富美男」の記事における「「別格のミスター・タイガース」」の解説
「ミスタータイガース」としては、他に村山実、田淵幸一、掛布雅之がそう呼ばれている。しかし、藤村を別格と見て、ミスタータイガースに初代も2代目も3代目も存在しない、藤村富美男だけがミスタータイガースとするファンもいる。野球関係の書物に同時期活躍した小山正明、吉田義男、奥井成一ら同僚選手、青田昇らライバル選手やマスコミ関係者から同様の意見が多く聞かれる。青田は「ミスタータイガースはあのオッサンしかおらへん。あの2リーグ分裂で、オッサンまで阪神を出て行ったら、今の阪神はないし、いまのプロ野球もないぞ。プロ野球がここまでのびたんは、東の川上、大下、西では藤村が頑張ったからなんや。村山、田淵、掛布がミスタータイガースなどといわれたが、とてもとても藤村のオッサンには及ばんよ。ミスタータイガースは藤村のオッサンだけ」「とにかく阪神と戦って、巨人の選手が9人がかりで、あのオッサンを潰しにいかんとあかんかった」と話している。川上哲治も「サムライでした。ひとりでがんばっていた。藤村さんも他球団に行っとったら、阪神はつぶれていたと思う」と話している。また、入団時に藤村の用具係を務めた吉田義男は「いろんな面でミスタータイガースは、藤村さんだけやと私は今も思っています」と述べている。 安藤統男は「ガキの頃に見た藤村さんの顔は、ユニフォームのソデにあったトラの絵にそっくりだった」と語っており、球団創設からあったトラのエンブレムのイラストに、いかつい藤村の顔が重なったという。小山正明は「当時"西の藤村、東の川上"てな言われ方をしとったけど、川上さんでも藤村さんみたいな人間的魅力でお客さんを呼んだわけやなかった。後の長嶋が"華麗なスーパースター"なら藤村さんは"野性味あふれるスーパースター"。野球人としての次元が、まるで違ってた。終戦直後の荒廃した日本に現れ、明るい光を灯した功績を、我々は忘れてはならん。あんな人は二度と出てこんやろう」と話している。藤村の葬儀で当時のOB会長・田宮謙次郎は、「チームの大黒柱で、あこがれの存在でした。先輩はプロ野球の歴史そのものです。引き継がれていく猛虎魂はこれからも消えることはありません」と弔辞を読んだ。また、星野仙一が阪神ファンなのは藤村のファンになったのが切っ掛けであるという。阪神球団社長の南信男は「阪神が今こうしてあるのは藤村富美男さんのお陰と、どのOBの方に聞いても、そう話される。ミスタータイガースといえば、やっぱり藤村さん」と話している。 2010年3月14日に「阪神タイガース歴史館」をリニューアルしてオープンした「甲子園歴史館」では、永久欠番である藤村、村山実、吉田義男の3人に対しては、特に手厚く残した功績を伝える内容にしたと、リニューアル発表時に報道された。
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